宿題

としてもらえないとやらないので・・・。」という相談を受けることがあります。私は「その状態で宿題にしても効果はないので出しません。」と一蹴します。
怒られて渋々取り組んだ内容など実は全く身に付いていないと思います。宿題に取り組んだという事実、提出したという事実だけでは何の意味もないのではないかと思っています。
「宿題」と銘打っていないと、保護者は学習することを促せないのでしょうか。生徒も「やろう」と思えないのでしょうか。もしそうならば、処方箋は宿題ではありません。
私は、宿題だから、やれと言われたから、提出しなくてはならないからという理由で取り組んだ内容を何かの役に立てることが出来た経験が全くないので、成功事例を聞いてみたいものです。
同じパワーを割くなら、勉強を義務として認識させることよりも、楽しさを理解してもらうことに集中させましょう。幼児から5年生位までは強制的な勉強で順位は上がりますが、それ以降のステージでは勉強が好きな子供たちの独壇場です。非常に多くの資源を投下しても、その向かう先が「子供が勉強を好きになる」ことでなければ楽しくない上に、相対的な出来も悪くなってくるのです。
最近、勉強をするしないの親子のトラブルの話を良く聞きます。「自分のためなのよ!」と叫ぶようですが、小学生が嫌々勉強した先に何かを得た話はあまり聞きません。
少なくとも、私は、私が好きな算数を、子供が無理矢理押し付けてられていて、嫌々取り組んでいるという状況は悲しく思いますし、全く意味を見い出せません。
我々大人が出来ることは、勉強の楽しさを伝えることだけです。
子供に無理矢理勉強させようとする保護者の方は何か成功体験があるのでしょうか。それとも学歴で非常に得をしたのか損をしたのか。周りの情報で必要以上に勉強が出来ないことへの恐怖心を膨らませているのか。子供たちが受けている重圧は相当なものですよ。