ぼやぼやしていると時間においていかれる

一昨日、祖父の三回忌がありました。もう二年もたってしまったかと思うと
少し不思議な気がします。

晩年は少し禁煙に成功していたものの人生の大半をヘビースモーカーとして過ごし、
私より20cmは低い身長でほぼ同じような体重をしていたにもかかわらず、
死の寸前まで病気にもかからず驚くほどぽっくりと逝ってしまいました。

なにせ死の当日まで新宿に新しいコンピューターを買いに出かけ、中華料理を
たらふく食って昼寝をしていたくらいなので、祖母もしばらくそのまま寝ているだけだろう
と思っていたようです。

遺体も焼かれるところもこの目で見たし葬式にももちろん出席したのですが、いまだに
どうも実感もわかず、正直な感覚としては「もう二年も顔を見ていないんだなあ」と
いったところです。

それでも気がつくと時間はきちんと流れていたようで、三回忌に出席した従姉妹の子供がとても
成長していて驚きました。祖父からみるとなくなる少し前に生まれた曾孫なのですが、
前にあったときはようやく首が据わったところでまだまだ赤ちゃんと言った感じだったのが、
ぱたぱたぱたぱたと走り回っては「あ、鳥さんがいっぱい飛んでる!」などと声を上げていました。
人間としての機能が充実してくるスピードに目を見張りました。

たかだか二年といっても、あらためて良くみると私の家族も含めて皆少しずつ変わっていて、
きっと自分では気づかないけれど自分もきちんと2年分年を重ねたのだろうと思いました。

新年度も始まりました。ぼやぼやしていないで、きちんと子供たちに胸をはれる時間を
重ねていこうと思います。子供たちにもきちんと血肉となる時間を重ねさせてあげなければ。

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