ことばの力を育てるものは

 こんばんは。今日も夜遅くの投稿となしました。日に日に暖かくなり、いよいよ夏男の私のエンジンもあったまってきました。いつも以上にテンポのよい授業を展開していきたいと思っています。

 さて、本日もわかりやすいタイトルです。お子様の言葉の力=読解の思考の根本となる部分を鍛えるものは…ずばり大人とのやりとり以外にありえません。

 最近作文の添削をしていて(とくに3年生以下の低学年で)、つとに思うことは、言葉のニュアンスがつかみきれず、とりあえず言葉をつかってみましたという作文をちらほら見かけるということです。

 添削してかなり誘導をしたり、組みあわせではなく、一つの言葉を使っての作文をさせたり、あの手この手で修正はしていますが、本来の最も効果的な方法は、書いた段階でおかしな使い方をしている言葉を具体例を挙げながら直してあげることです。

 じつはロジムの教室で行う作文もこの形式にそって行われています。お子様の書いた作文の発表を聞いて、それについて少しコメントをつけながら、こんなふうに使うともっといいよ、などと言葉の質感をできるかぎり伝えていきます。お子様も意外と楽しそうにやっています。知らないことを知るのは本来大きな喜びですから、方法さえ間違わなければ(しかる・おこるなどしなければ)、言葉の勉強ってそんなにつらくないんです。

 でもそこはまだお子様。授業で話を聞いた瞬間はふーんとうなずいていても、その後2,3日放っておくときれいさっぱり忘れていたりします。お子様の時間は濃密ですから、次々と記憶が塗り重ねられていくのは避けられません。

 それを避けるにはまず、早めの復習(宿題)の着手を、というのが常道です。

 さらに加えていうなら、こと、言葉に関していえば、大人は絶対的なそして唯一の先生であるのです。なぜなら、辞書を引いたってことばの持つ質感なんてわからないのですから。読書をしたってその言葉の持つ色合いまで感じ取って読むには、その前段階として、言葉には言外のニュアンスが存在していることをわかっていなければ、簡単に読み飛ばしておしまいで、言葉の色合いなんかどこ吹く風でしょう。それでは一度風化した記憶を戻すことはできません。

 つまり、言葉のニュアンスをかぎとる力は自分より上の言語能力を持った人間との膨大なやり取りの経験意外にはありえません。これが国語が伸びるのに時間がかかる一つの要因なんですね。
 
 実際上手な作文を書くお子様の話を聞くと、いろいろと話をしながら書いている場合も多いです。1週間に一度、私がチェックするのに加えて、そのようなやり取りが週に30分もあれば、1年間で実に1500分もの差になっていたりします。通常授業の約3ヶ月分ですね。一日10分話をすれば、1年間でなんと…。
 
 低学年時にあえて、知らない言葉を投げかけて作文をしてくるという課題を課し、授業内でも相当の時間を言葉の学習につぎ込むのは、それこそが国語ひいてはお子様の思考力を高める基礎となるからです。何せ、人間は言葉で考える生き物ですから。

そしてその先生となるべきは、我々だけでなく、世のすべての大人たちなのではないでしょうか。
                                                          む

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