胸を張って自分は努力したと言える人が結局強い

こんばんは。野村です。
最近つくづく思うことですが、
勉強ほど努力が忠実に結果に結びつくことはないですね。
スポーツ、恋愛、友人関係等コミニュケーション、事業・・・・
比較するとよくわかりません?

「勉強が苦手」「いくらやっても成績が伸びない」
「どうも・・・・が私(orうちの子)には向いていない」 e.t.c…
多くの場合単純に努力不足ですね。
確かにある一定の割合、「才能」と呼ばれる部分で努力の少なさをカバーする
人たちはいますが、そこに対して「私(orうちの子)には才能がない」といっても
なんの意味もありません。勉強における努力と結果の強い相関性の否定要素にはもちろんなりません。

自分?ですか?
勉強に関して努力したほうだと思います。
逆立ちしてもどうやってもかなわない「才能」型と思われる人に人生のいろいろな場面で出会う機会が多く、その度に、「あ、なるほど。自分は影でコツコツ努力せにゃあいけないのね。」と思う(思わされる)機会が多く、また「やりゃあいいならやる」と半ば意地になって割り切ってコツコツやる習慣がありました。
「影でコツコツやればいいわけね」という成功体験を積む機会がままあり、そのおかげで習慣化したというのが正しいかもしれません。

ご批判覚悟で書ききりますが、東大でもどこでも、大学入学くらいまでは努力の世界です。才能なんて関係ありません。

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