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ひとりごと・雑談 アーカイブ

2008年12月23日

漢字テストの勉強法

 こんばんは。寒いさもいよいよ増してきましたが、これから冬期講習に入っていきます。6年生は受験へむけて最後の追い込みを、他学年のお子様は来るべき新学年にふさわしい準備段階として、寒さも吹き飛ばすくらい元気に勉強に励んで欲しいところです。

 さて、最近、「漢字テストの意味を覚えるのがつらい」という声を耳にしますので、その解決策を少々。
皆さん、無理にあのテキストを丸暗記しようとしていませんか。それではいくら時間があってもたりませんね。そもそもロジムでは本来丸暗記は推奨しておりません。漢字テストで意味を書かせているのは、あくまで、
 ①日本語で短く簡潔に伝えたいことを伝える練習
 ②訓読を通じて漢字の意味を知り、さらに応用が利くようにすること
という目的のためです。

 ①については説明の必要はないと思うので、②について少し補足しますね。
 次回の漢字テストの範囲(中学年)の「任」という字を例にとって見ましょう。例文には「責任・任務・任地・任期」「委任・任命・信任」とあります。ちなみに「任」の訓読みは「まかせる」です。人に何かをやってもらうことですね。
 さて上の熟語たちを訓読みしますと「任せられた務め、任せられた土地、任せられた期間」「ゆだねて任せる、まかせると命じる(命令する)、信じてまかせる」となります。「責任」だけはやりにくいですが、「任せられたことに対して責めを負う」のが責任ですね。
 というように、熟語を訓読していけば、結構な数のことばの意味を書き表すことができます。実はロジムで求めている意味の説明はこの程度です。この方法は丸暗記よりはるかに効率よく意味を覚えられますし、定着もよいのです。
 さらにちょっと工夫すると…
 「任地」というのは、「任務をもっていく場所」、「任命」は「ある任務を行うことを命令すること」などと、他の熟語との組み合わせで意味を書いてみたり、
 「放任」「就任」なんていうのは「まかせてほうっておくこと」「ある任務につくこと」だなどと、知らない言葉に対しても対応することができるわけです。

 いかがですか。訓読が漢字の基本です。熟語というのはもともと中国のことばです。日本人が普段使うことばは和語と呼ばれる、訓読みなのですから、訓読みのほうが実生活に即して覚えていけるわけです。和語で理解できると、その漢字が本当に習得できます。するとその漢字を使ったほかのことばも初見で意味がわかるようになります。ちょっと試してみてください。

 そういった思考をしているかは、漢字の答案に反映されます。ロジムが求めているのはそういう力ですから、必然点数は高くなると思いますよ。

                                                      む


2008年12月22日

授業日記

日曜夜の楽しみ「世界ふれあい街歩き」が今日はやっていないのでさみしい気分の苅野です。
日曜日の3年生の授業。講習前の最後の授業はテストでした。すでに何回か実施しているため記述式をうまく使える生徒が増えてきたのはとてもうれしいですね。
解説をノートに書き写すだけでなく、自分のテストを持ってきて「どこで間違えたのかがわからないので見てほしい」という生徒がいました。学力を高めるために必要なことを実感を持って身につけられるってとても大きな武器ですし、低学年の学習目標の中でも最も重要なものです。


2008年12月21日

爺のひとりごと027

爺じゃ。

2008年も、のこりわずか…。
来週はもう、ロジムも「冬期講習」真っ最中じゃな。
そうそう、今朝は、霜が降りるくらい寒かったのに、
夕方から夜にはすっかりあたたかくなっていたのぅ。
ただ、風は強かったが。

さて、この1年を振り返って、ひとこと。

「復習」

とは、何じゃろうか?

最近、年度末に近づき、学習が「復習」メインになりつつあるなかで、
爺は大きな課題(というか不安?)を抱えておる。

生徒たちからよく聞く言葉。
(爺が、「またか…」と思う言葉。)

「あ、やったことある~!」
「同じ問題、見た~!」
「この間と同じだ~!」
「添削プリントと同じだ~!」

さて、この発言した生徒が、サクサクッとその問題を処理するなら、
そんなに不安は覚えないのじゃが。
実際のところ、そんな発言をしたものの実際は解けない。
しかし、そんなときにさらに…、

「この間はできたのに~!」
「あれ?どうやるんだっけな?」
「忘れちゃった!」
「先生、ヒントっ!」

…。

爺的には、泣きたくなる瞬間じゃ。

う~ん、どうしたものか。
爺は、そんな不安と疑問と、戦い抜いていく日々じゃ。

おやすみじゃ。(爺)


爺のひとりごと027

爺じゃ。

2008年も、のこりわずか…。
来週はもう、ロジムも「冬期講習」真っ最中じゃな。
そうそう、今朝は、霜が降りるくらい寒かったのに、
夕方から夜にはすっかりあたたかくなっていたのぅ。
ただ、風は強かったが。

さて、この1年を振り返って、ひとこと。

「復習」

とは、何じゃろうか?

最近、年度末に近づき、学習が「復習」メインになりつつあるなかで、
爺は大きな課題(というか不安?)を抱えておる。

生徒たちからよく聞く言葉。
(爺が、「またか…」と思う言葉。)

「あ、やったことある~!」
「同じ問題、見た~!」
「この間と同じだ~!」
「添削プリントと同じだ~!」

さて、この発言した生徒が、サクサクッとその問題を処理するなら、
そんなに不安は覚えないのじゃが。
実際のところ、そんな発言をしたものの実際は解けない。
しかし、そんなときにさらに…、

「この間はできたのに~!」
「あれ?どうやるんだっけな?」
「忘れちゃった!」
「先生、ヒントっ!」

…。

爺的には、泣きたくなる瞬間じゃ。

う~ん、どうしたものか。
爺は、そんな不安と疑問と、戦い抜いていく日々じゃ。

おやすみじゃ。(爺)


2008年12月18日

何がわからないのかわかる力

竹村が個人的にとても大きな差をつける力だと思っているものに「何がわからないのかわかる力」
というものがあります。ロジカルシンキングで教える「仮説思考」の能力と共通する点が
多いと思うのですが、肝要なのが「プロセスを意識できるか」「今プロセスのどこにいるか意識
できるか」ということです。

問題を見たときにどんな子でも直感的にわかることがひとつあります。それが「わかる問題かわからない問題か」ということです。
わからない、ということはほぼ見た瞬間にわかります。

ところがここから、行動が大きく二つのパターンに分かれます。
一つめが、その瞬間に一気に集中力が落ちてしまう子。低学年だと特に顕著なのですが、
視線が紙から離れてあちこちさまよい始め、鉛筆が手からこぼれ、「できないー」を
連呼し始めます。

もう一つは、「この言葉どういう意味?」「この問題文の意味がわからない」「解き方がわからない」
と不満げながら質問をぶつけてこれる子。
違いは「この問題意味わからない」と考えるか「この問題のここが意味がわからない」と考えられるか
の差だと思います。

そもそも漢字そのものが読めないのか?読むことはできるけど言葉の意味がわからないのか?文章の
趣旨がわからないのか?情報をどう整理すればよいのかわからないのか?どの解法を使えばいいのか
わからないのか?一度習った解法でもうろ覚えなので使えないのか?

無意識なときもありますが、そこまで掘り下げて考えることができる子は、簡単に集中力が落ちません。
へんな言い方ですが「できない」ということに関してある意味で鈍感です。いちいちショックを受けない。
「この問題が解けない」と思うと「それは自分が頭が悪いからだ」と思ってしまいますが、
「問題文の漢字が読めない」と思っただけで「自分は頭が悪いなあ」とショックを受けることは
ないからです。だから、わからなくても堂々としています。

高度なレベルの作業ではありますが、考え方のクセのようなものなのでいわゆる「できる子」で
あるかどうかにそこまで関係あるわけではありません。むしろいわゆる「できる子」の中に
最初に紹介したパターンの子がとても多いです。

逆に、いわゆる「できる子」がどうかにかかわらず、教室で教えていて一番やりやすく、
沢山のことを吸収して帰ってくれるのは二つ目のパターンの子です。

ちなみに教える側としては、常にその子が「どのレベルでわかっていないのか」を考えていくことになります。

「できたときに誉めてもらえる」「達成したときの喜びを知る」というのは学習の大きなモチベーションに
なるのですが、「できないから怒られる」「できないからつまらない」というのは非常に危ない動機付けです。
できればご家庭でもできていない時に「どこができていないからできていないのかな?」ということを
考えさせるクセをつけてあげてください。


2008年12月16日

メンタリティー【6年生の皆さんへ】

 こんばんは。今年も残すところあとわずか。気づけば1月入試まで1ヶ月をきっていますね。今年も時のたつのが早かった、そして来年2月まではあっという間にすぎてゆくのだろうな、でもその中にいろいろなドラマがあるのだろうな。
 さてここから先はいろんな意味でメンタリティーが試される時期です。わたしの中で、メンタリティーとは、投げやりにならない心だと思っています。いちいち結果が数字で出されて、めげそうになったとき、歯を食いしばって思い出して欲しい言葉です。
 自分の知識のなさを実感するとき、自分の得点力に自信をなくしたとき、なんとなく気分が乗らないとき、現実に立ち向かうにはどうするか。集中力。投げ出さずに愚直に自分の失敗と向き合って、愚直にそれを反復練習する以外に方法はありません。本来、テストの後にこそ、集中して作業を繰り返さなければならないはずです。皆さんを見ていると、その部分があまい。
 私は愚直さが好きです。スマートにやろう、なんてこれっぽっちも思っていません。どんなに泥臭くても、伝わるまで繰り返し言い続けるしか能のない人間ですが、それだけはゆずらない覚悟で受験に対して向き合っています。君たちの受けたテスト、入試演習に関しては、ほぼ全部目を通しているつもりです。足りない部分はどこか、それを補うのと、気持ちよく勉強できる教科の折り合いをつけながら、それでも本当にやらせなければいけないことは、やれるまで繰り返します。
 ここが重要。本当にやらせなければならないことの、大半はいやなこと、面倒なこと、つらいこと、です。でも、それをきちんと身につけたときの見返りももっとも大きい部分です。
 この間は1回でやりたかった部分が2回に分けることになってしまいました。仕方ないですね。社会を3時間近くぶっ通しでやっているのですから。でもそこで、歯を食いしばってほしかったと思います。無理やりにでも集中しようとして欲しかったと思います。残った部分をやる時間がどこに取れるのか。一度でもあたまに入れたなら、思い出すことはできます。しかし、一度も聞いたことない話は思い出しようがない。
 ここができなくても何とかなるんじゃない、という困ったときの神頼み。そんなものは存在しません。つらい状況を何とかするのは、自分以外にありません。投げやりにならずに愚直にやりとおしたこと以外、いざというとき自分を助けてくれるものはありません。
 あと1ヶ月。愚痴をこぼすのも、甘えるのも、ストレス解消にも付き合いましょう。でもたった一つ、弱ったときこそ、めげそうなときこそ、つらいときこそ、投げ出さずに、今一度集中力を高める努力をして欲しいと思います。
                                む


2008年12月15日

強さ

世界ふれあい街歩き コロニア・デル・サクラメント(ウルグアイ)編を見ながら
ロジムバスケ部の初回練習から帰宅。なかなか盛況でした。
そういえば、私は小学校の時に通っていた塾でもクラブを作っていました。サッカー部とキックベース部。駅前で活動していて、ボールが道路に出てしまい車に踏まれて破損した後はなぜかリレー部。塾の周りでリレー大会を開催していました。意外な友達が足が速くて盛り上がりましたね。
私の通っていた高校では、体育=スポーツ大会の色合いが濃く、個人種目も団体種目も記録と対戦結果によって成績がほとんど確定するというものでした。これが盛り上がるし、それぞれ工夫をして努力をするし、結局良い循環になっていました。泳げない生徒が必死に練習していたのを覚えています。水泳の期末試験が個人メドレーとかでしたので。
私はこういった勝負事から学ぶことって多いと思います。個人の間に圧倒的な能力差があることを認める所からスタートしなくてはいけないこと。その中で自分の武器を見いだして磨き、弱点を補強すること。ルールの中でゼロベースで戦略を構築すること。そして、だれも結果を保証してくれないなかで努力をしなくてはならないこと。さらに相手は同じように努力をしている人間だということなど。
こういった中で育まれる「強さ」は非常に重要なのではないかな。子供だけでなく、大人にもそういった強さがなくなっている気がします。


2008年12月11日

名トレーナー

自分が二人欲しいと、妄想することが良くあります。行動する自分と、行動を管理する自分。
行動の内容やバランスについて管理する、復習して改善する、目標を設定して
具体的な行動のレベルまで細分化しておく、といった作業を、実際に生活しながら
安定して行っていくことがときどきものすごく面倒くさくなってしまいます。
あるいはもっと単純に時間がとれないとか。
そんな風になると生活全体の生産性がどすんと落ちてなかなか這い出せなくなってしまいます。
もう一人自分がいて、こっちが生活に集中している間にいろいろ計画を立ててくれたら
どんなに楽だろう、と思います。

昔、ある方としゃべっていて
「そういえば、トップレベルのアスリートってトレーニングでも試合中でもものすごく
頭を使うと思うんですが、やはりすごく頭が良いんですかね?」と質問してみたこと
があります。そうしたら「いや、ああいう場合はたいていトレーナーがすごく優秀なんだよ」
とおっしゃっていました。

授業という短い時間の間しか関わることができないのですが、それでもその時間帯だけは
子どもたちが努力するだけでぐんぐん前に進んでいけるような名トレーナーに
なりたいなあ、と常々思っています。



2008年12月09日

久々に

 こんばんは。あやうく本日のブログを書き忘れるところでしたが、すんでのところで思い出しました。

 さて、先日久々に友人の結婚式に顔を出してまいりました。2時間ほどですが、友人たちとのつかの間の再会ができ、少し近況などを聞いてきました。起業した人間や医者の世界で一歩一歩キャリアを積み重ねている人間、かと思いきや、医療全体の改善のために官僚に転進した人間等々、様々な刺激を受け、自分自身へたっている場合ではないと、意気込みを新たにできました。
 
 そんな中、私の職業柄、「受験勉強っていつからやるの?」とか「低学年時には何させたらいいの?」といった話をふられることが多くあります。私はいつも「君たちの幼少時代を思い返せば。」と答えつつ、彼らの幼少の頃の話を聞きます。
 みんなスポーツに音楽に、といろいろ習い事もやっているのですが、それ以上に子供同士で遊んでいた記憶しかない、という人が多いこと。この間野村も書いていましたが、結構やんちゃをやりながら、子供同士の付き合いを楽しんでいた人が多いのです。

 別に科学的に証明されているわけではないのでしょうが、遊びの中で育つ創造性はよく聞く言葉です。いろんなルールを考えながら、いろんな工夫をしながら遊んでいるのが子ども。楽しく考えているのだから、脳が活性化するのかも知れません。またそういった経験のなかで、人の気持ちなども察していくようになるのかもしれないな、と思う今日この頃です。
                                                       む
 

 


2008年12月07日

爺のひとりごと025

爺じゃ。

さて、先週「金星と木星と三日月」の話をしたが、
実際に夕方見てみた者はおるじゃろうか。
明るく光る金星と木星が「目」、三日月が微笑んだ「口」のように見え、
「スマイルムーン」などと題されてニュースでも紹介されていたようじゃ。

さて、ちょっとスマイルではない話をひとつ。
消しゴムの使い方、気にしたことはあるじゃろうか?
授業の中で、誤答を正すときに消しゴムが出動するわけじゃが、
この使い方がザツでザツで(特に低学年)。
あえて厳しい言葉を使えば、まさに「ヘタクソ」じゃな。
一生懸命ゴシゴシと消してはいる(気になっているだけ?)が、
実は大して消えておらず、紙はグシャグシャ。
しまいにはビリッと音がしたあとに、思わず「あっ!」…。
まったく、嘆かわしいことじゃ。

さまざまな問題に取り組むとき、間違えることは決して悪いことではない。
考えて試して間違えて直して、また考えて試して間違えて直して…、
これはむしろとても大事なことじゃ。
それを考えれば、消しゴムが「きちんと」使えるようになることは、
正解にたどり着くために必要なアイテムかもしれん。

で、「きちんと」使うための爺からのアドバイスとしては、

①線の向きに対してどの方向に消しゴムを動かすか
②どれくらいの強さでこするか
③実際に消すのは消しゴムを押すときか引くときか

「できるかぎり少ない回数でこすり、きれいに消せて、紙も傷つけない」。
これぞ、消しゴムマスターの証じゃ。
ぜひ、目指してみてはいかがかな。

おやすみじゃ。(爺)