vol.1
ロジム塾長
苅野先生
前編
後編
vol.2
ロジム
事務局長兼講師
野村先生
前編
後編
vol.3
ロジム講師
向井先生
前編
後編
vol.4
ロジム講師
岩沢先生
vol.5
ロジム講師
坂原先生
vol.6
ロジム講師
中川先生
   
番外編
ロジム
野村先生&
ぐんぐん英会話社長
谷口さん

   
   
 
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学習塾ロジム  講師 向井先生 
 
向井 広樹
埼玉県出身。開成中高、東大法学部卒。大学在学中よりダイビングのインストラクターをしつつ、塾の講師として勤務。
文系科目全般の教務、教材作成を担当。<詳しくはページ下に
向井先生は、小学校時代はどんな子どもでしたか?
向井  埼玉県の上尾市に住んでいました。兄弟は4歳下の妹が一人います。小学校は遊んでいた記憶しかありませんでした。運動も勉強も積極的に楽しんでいました。教室で手をあげたり、ボール遊びをやったり、自分でゲームを考えて遊んだりしていました。

 家では、母から「毎日のドリルをちゃんとやりなさい」と言われていて、1年生から近所の本屋さんで売っているものをコツコツやっていました。反復ドリルは4年生ぐらいまで続きました。面倒だった記憶もありますが、習慣化していたので、それほど苦痛ではなかったです。下校後サッカーや野球にあけくれた後、机に向かっていました。

 初めての習いごとは、1年生で習った水泳でした。母が体を鍛えるためにやらせました。これはいやでしかたがなかったです。みんなで遊ぶのが大好きな小学生でしたから。一人で黙々と泳ぐのに楽しみが見いだせず…。3年生でそろばんに行きました。友達がやっていたので、楽しそうだと思って。結構いいところまでやったのですが、今では暗算力はすっかりおとろえています。

 塾は4年生の時に、夏期講習につれていかれたのが初めてでした。楽しかったです。勉強好きでしたから(笑)。

 科目としては、算数が面白かったです。単純に、問題を考えるのが好きだった。いまでも好きです。
 いろんなものが良くできたので、学校では早く問題を解いたあとに、クラスの子を教えるということが3~4年生のころに、よくありました。問題が解けない生徒に、先生からみてあげてといわれて。その時に、説明して解ってもらえたという喜びはありました。一緒に横について、読むところから始めて「これどうすればいい?」って聞いたりしながら教えていました。今のロジムゼミみたいな形です。

中学はどこに進学されて、受験するきっかけは何だったのでしょうか?
向井  中学は開成です。受験をするきっかけは、父が買ってきた算数の『自由自在』という参考書でした。当時の僕は、学校の勉強は難なくこなせていたし、塾の夏期講習も楽しかったので、できない問題があるなんて思ってなかったのです。かなりうぬぼれていた。それなのに本を開いてみたら「ひとつもわからないぞ。こんなのしらないぞ」というのが最初の何ページかで、どっさりでてきました。どうやったらできるのだと思っている時に、母から塾ではこういうことをやるのだと言われ、それでは本格的に行ってみるかと、5年生の頭から「山田義塾」にいきました。

 塾は楽しかったです。成績も順調にのびていったので、5年生の夏に、「開成にいくんだ!」と宣言したのです。その後、当時の桐杏学園という塾から開成中学にたくさん入学しているということで、5年の2学期から塾を移りました。移るのは電車移動があるので嫌でしたが、先生との相性がよく、結果としては良い判断だったのかもしれません。桐杏学園の先生は、お爺ちゃんの先生で、のびのびロジムみたいに楽しんでいました。早く終わったときなど、他の問題をもらったりして解くのが楽しかったです。

遊びたいのに、なぜ塾が楽しかったのですか?
向井  塾は5時から始まりますが、4時までは、6年生のときでさえ、ほぼ毎日放課後遊んでいました。僕の通っていた小学校は3人ぐらいしか中学受験しなかったのです。東京だと当時、3~4割は中学受験している時代でしたが、片田舎だったわけです。しっかり遊べていたので、勉強も楽しくできたのだと思います。

 開成を選んだのは、一番上をめざそうと思ったからです。成績がよかったため、先生にうまくのせられたのもあります。中学はうかってうれしかったのはもちろんですが、期待もされていたので、プレッシャーはありました。「やったー!」というより、「ああよかった」という思いが強かったことが印象に残っています。

開成中学に入学してからはどうでした?
向井  1年生のころは、かなり勉強しました。やらないと置いていかれるのではないかという脅迫観念みたいなものが動機でした。受かったときは、塾内の順位はトップクラスだったけれど、そういう人ばかりだろうから、きちんとやらないと、と思っていたのです。幸い、英語の勉強が個人的にとても好きだったので、英語だけは全く苦労しませんでした。

 1学年は50名クラスが6クラス。300人いました。高校進学で100名が増えます。
みんなが勝手に勉強する特殊な環境ではありました。授業聴いている人は少なかったです。
中学は野球をやっていました。「巨人の星」的な部活で、厳しい先輩と顧問がいました。1年生のときは走ってばかりでしたが、意外とスポ根も楽しめました。本当はサッカーをしたかったのですけど、たまたま最初に仲良くなった連中がみんな野球部志望だったことから、あっさり周囲に流されました。

 成績は中学1年生の最後の期末テストまではよかったです。中間期末の勉強は決められた範囲をやったかやらないかで決まるので、思った以上にみんなやってなかったということでしょう。学年トップをとりました。それが、中2で疲れてきて、中3で面倒くさくなってきました。なんで、こんな暗記をしないといけないのだと、斜に構えるようになってしまったのです。

 妙にこだわるタイプなのも疲れてしまった原因かもしれません。特にノートを丁寧に自分なりにまとめるので、それに疲れたのもあります。それでも、まとめノートは高校でもやっていて、みんなに試験前に貸し出していましたね。手元に戻ってくるのは前日でした。当時はもうすでに中間期末は一夜漬け体制だったので、まったく問題はありませんでしたが(笑)。

 向井式ノート術は、とにかく先生の言ったことを記述して、家に帰ってまとめるというのが習慣化されたものです。小学生時代からずっとそうでしたね。メモノートと、復習ノートを2冊もっていました。中学1年生は、当日に復習ノートを必ず家で作っていました。今から思うと、中学の時に勉強していた貯金で高校時代のりきった感じがあります。

 中学の時は、中間、期末という限られた範囲での試験なので、やれば解けるのですが、そんなことを無視して、自分の好きな勉強を突き詰めている、そんな生徒がいるのです。たとえば、数学だけはつきぬけていて、あとはパソコンに夢中になっていたりするような人です。そういう人は人格的にもとても魅力的だったりしました。そんな連中がいたものだから、いくら成績がよくても謙虚な気持ちでいられました。僕も英語だけは好きだったので、それだけは勝手にいろんなものを自分なりにやっていましたが、それ以外は適当になってきてしまいました。中学3年生の時に、順位が下がってきて、母からもくどくど文句を言われ、なんとなく復習ノートもないがしろになり、悪循環になっていったのです。部活後、遊びに走り始めたのも同じころです。

 でも、そこがターニングポイントになりました。いろんな(ここでは全てをおおっぴらにできないですが)ことをして、のびのび生きている友達もできて、幅が広がった感じがありました。ひとつ例をあげると、高校時にはまったのは麻雀です。周りの連中は強かった…。四六時中麻雀のことしか考えてないような連中だったので、よく負けていました。おかげで大学時代は無敵でしたが。

高校生活はどうでしたか?塾などは通いましたか?
向井  高校は英語だけ塾に行っていました。数学も最初は通っていましたが、あまりに宿題だらけで、つまらなかった。数学は今でも結構好きですが、面白くもない計算をもくもくとやらされた結果、早々に嫌になってしまいました。他の教科は、高校2年のころから大手予備校の夏期講習等に申込みました。しかし、一方通行で話を聞いて、面白くなかった。最初の1回で飽きてしまって、それ以降授業に参加しなかったのがほとんどでした。テキストはもらえたので、それをもとに、ファーストフード店や図書館などで、自分なりの勉強を続けていました。やはり学ぶ環境は少人数がいいでしょう。大人数で授業を受けるくらいなら、自分で勉強していたほうがペースを保てます。
開成は通われていてどうでしたか?
向井  中高一貫校は、高校受験がなく、進度も早い。その環境で、学ぶだけでアドバンテージはあります。開成中学を受験したのは、合格したら高校受験もなく、6年間部活もやれると思っていたことも大きいです。部活はとても楽しかった。きつかったですが。
 先生は、意外に普通です。少なくとも当時は。平平凡凡と授業も進んで、皆が勝手に勉強しているような状況でした。開成が東大実績をうたっているので、入った瞬間から東大進学を意識する人が多いのでしょう。進路指導もほとんどなく、皆が現役で東大、医大を受けるというのが当時でした。受けざるを得ないと言ってもいいかもしれません。そうしないと認められないという世界でもありました。そういう意味では無駄にシビアな世界でもあります。
 僕はその風土が嫌いではなかったですし、今でもたくさんの友人と付き合わせてもらっています。その友人たちと当時のことを振り返ると、「お互い肩肘張りすぎてたな」という発言や「人間関係で結構大変だった」というような発言も出てきます。勉強をしていないと肩身のせまい思いをすることもある世界でした。
東大の受験勉強はいつごろから始めましたか?
向井  本当に受験勉強をやったのは、高3の夏からです。英語は好きでやっていましたし、数学も自分なりのペースで進めていましたが、社会と古文は高3夏までほとんど手付かずでした。必死でやりました。夏にひたすら勉強して、結果的には現役で東大に合格できました。学部は文科一類。進学振り分けがない、というのが最大の理由です。
 理科の一類、二類、文科三類などは入ってからの成績で、3、4年の学部が決まります。ということは必然勉強をして、いい成績をとらないといけない。中間期末の勉強でうんざりしていた僕は、「そんなの面倒だ、大学に入ったらとりあえず、コンパだ!」と思っていたわけです。
 というわけで、学部選びは極めて消去法的でした。医者になろうとは思ってなかったし、あわよくば、司法試験でも受験しようかという感じです。
どんな勉強法でしたか?
   英語に関しては、中1からでてくる例文を片っ端から、書いて復習することです。これがすべてだと思います。とにかく例文がさっと頭にうかぶようにする。高校生になったら、ひたすら演習・英作文をやっていました。基礎が土台としてあれば、対応力をつけるのは難しくない。数学は、わからないものはとりあえず放っておきました。先生は学校の友達で十分でした。塾で問題数をこなして解き方を暗記するよりも、原理を教えてくれるので、楽しかったです。それでできる問題だけやれば十分だろうと思っていました。世界史については教科書をとにかく読んで、一問一答をひたすら繰り返しました。論述に関してだけはZ会添削をやっていましたが、これも土台があってこそだと思います。夏の間に教科書と一問一答を何週させたか覚えていないくらいやりました。

 勉強時間は、8時に登校して授業に出席せず図書館にいって、10時間くらいは勉強していました。息抜きに、昼ごはんを食べたり、ゲームセンターも行ったりしました。一息つく時間はあっていいですが、集中することが最も大切だと思います。そのために途中で場所変えたりもしました。余談ですが、麻雀だけは1年間禁欲しました。誘惑に弱い僕ですが、これだけは唯一守り通しました(笑)。

 
向井 広樹  
出身地 埼玉県上尾市。中学時代に上京し、その後東京中心の生活を送る大学時代は友人宅を転々としていたが、その後東京に住む。
出身大学 東京大学
教えている科目 国語・社会・英語・ロジカルシンキング6年
趣味 スキューバ・ダイビング/秘湯めぐり 最近どちらもあまりやれていない。今年こそやりたいですね。
漫画/ゲーム/コミュニケーション
小学生のときやっておいて
よかったと思うこと
・スポーツ
とにかく体を動かしていましたが、それがあったからこそ、勉強も集中してやれていたと思います。
・旅行
いろいろなところに連れて行ってもらった記憶が今生きていると思います。
・いろいろなゲームを自分たちでルールを作りながら行ったこと
創意工夫の原点がそこにあったと思います。
小学生の時にやっておけば
よかったと思うこと
・音楽
これだけは本当にやっておきたかった。大人になってピアノを弾けるっていいな、と思います。

尊敬する人物 中田英寿
サッカーのプロとしてストイックだった部分はもちろん尊敬できますが、リーダーシップもあるし、文化的な部分の大切さをきちんと認識して、海外で結果を残したのが素晴らしいですね。
サッカーだけでなく、その後の人生もしっかり設計しながらの生き方にスケールの大きさを感じます。
やりたいこと ダイビング / 英語の教材作成 / 投資の勉強 / 友人たちとの交流
これからも様々な人と出会いながら、自らも新たなことを学び、 それを人生に活かしていきたいですね。
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