1年生のころは、かなり勉強しました。やらないと置いていかれるのではないかという脅迫観念みたいなものが動機でした。受かったときは、塾内の順位はトップクラスだったけれど、そういう人ばかりだろうから、きちんとやらないと、と思っていたのです。幸い、英語の勉強が個人的にとても好きだったので、英語だけは全く苦労しませんでした。
1学年は50名クラスが6クラス。300人いました。高校進学で100名が増えます。
みんなが勝手に勉強する特殊な環境ではありました。授業聴いている人は少なかったです。
中学は野球をやっていました。「巨人の星」的な部活で、厳しい先輩と顧問がいました。1年生のときは走ってばかりでしたが、意外とスポ根も楽しめました。本当はサッカーをしたかったのですけど、たまたま最初に仲良くなった連中がみんな野球部志望だったことから、あっさり周囲に流されました。
成績は中学1年生の最後の期末テストまではよかったです。中間期末の勉強は決められた範囲をやったかやらないかで決まるので、思った以上にみんなやってなかったということでしょう。学年トップをとりました。それが、中2で疲れてきて、中3で面倒くさくなってきました。なんで、こんな暗記をしないといけないのだと、斜に構えるようになってしまったのです。
妙にこだわるタイプなのも疲れてしまった原因かもしれません。特にノートを丁寧に自分なりにまとめるので、それに疲れたのもあります。それでも、まとめノートは高校でもやっていて、みんなに試験前に貸し出していましたね。手元に戻ってくるのは前日でした。当時はもうすでに中間期末は一夜漬け体制だったので、まったく問題はありませんでしたが(笑)。
向井式ノート術は、とにかく先生の言ったことを記述して、家に帰ってまとめるというのが習慣化されたものです。小学生時代からずっとそうでしたね。メモノートと、復習ノートを2冊もっていました。中学1年生は、当日に復習ノートを必ず家で作っていました。今から思うと、中学の時に勉強していた貯金で高校時代のりきった感じがあります。
中学の時は、中間、期末という限られた範囲での試験なので、やれば解けるのですが、そんなことを無視して、自分の好きな勉強を突き詰めている、そんな生徒がいるのです。たとえば、数学だけはつきぬけていて、あとはパソコンに夢中になっていたりするような人です。そういう人は人格的にもとても魅力的だったりしました。そんな連中がいたものだから、いくら成績がよくても謙虚な気持ちでいられました。僕も英語だけは好きだったので、それだけは勝手にいろんなものを自分なりにやっていましたが、それ以外は適当になってきてしまいました。中学3年生の時に、順位が下がってきて、母からもくどくど文句を言われ、なんとなく復習ノートもないがしろになり、悪循環になっていったのです。部活後、遊びに走り始めたのも同じころです。
でも、そこがターニングポイントになりました。いろんな(ここでは全てをおおっぴらにできないですが)ことをして、のびのび生きている友達もできて、幅が広がった感じがありました。ひとつ例をあげると、高校時にはまったのは麻雀です。周りの連中は強かった…。四六時中麻雀のことしか考えてないような連中だったので、よく負けていました。おかげで大学時代は無敵でしたが。 |