受験にでるからしょうがないなんて理由はもうやめたいころです

こんばんは野村です。
自分で授業をしていてやはり一番違和感を覚えるのが国語「詩」の授業です。

詩から何を感じ取るか、作者はどんな立場かを選択肢で考えることになんの意味があるのでしょうか。あほらしい・・・。

ですからどうしても「擬人法」や「倒置法」など詩のスキルの解説が中心となり、
一応用意してある読解問題は

「いや、こんなのほんとにどうでもいい問題だし、正解なんてないんだけど、悲しいかな、『きっと作者がこう感じたととるのが”普通”かなと』と考えなきゃいけないこともあるんだよ、現実。」

と言い訳がましい授業です。いやですね、ほんと。

今日の3年生の授業では、詩はとにかく比喩を味わうこと!と散々話し合い、授業の最後にお帰り問題として、「詩を書いた人からかえっていいよ。テーマは冬で、必ず擬人法を使って気持ちを表してください。」というお題を出したらどうして中々ものの1,2分でかっこいい詩を書いてくれていました。

すこし安心しました。評論家になる前に表現者になってください。
どの分野でもその逆のルートはありえません。