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ロジムができるまで (野村の場合 社会人になって②)

三日連続で野村の体験を書き、皆さんいい加減飽きてしまってると思うので今日で締めくくります。そんなこんなで某コンサルティング会社に転職します。

企業の戦略立案や事業立ち上げなどを支援するお仕事です。関わる業界を短期間で研究し、さらに人様の会社の経営に口を出すわけですから、それはそれは今思うと大それたことです。「戦略コンサルタント」といった言葉で検索すればコンサルタントの仕事は分かると思います。

新米コンサルタントはここで徹底的にロジカルシンキングをたたきこまれます。もはや幼少期に身についていなければ手遅れなはずですが、膨大な量の訓練と毎年多くのうつ病患者を生むプレッシャーの力で半ば強引に変身を成し遂げます。

研修はもちろんですが、普段の業務でも「論理的であること」が最も重視されるポイントです。仮眠中の寝言でも「え、なんで?それ話つながってないよ」と言われ、ランチ中には知り合い女性を2軸で分けてマッピングしてみたり、とにかく頻繁にグラフが登場します。皆の口癖は「それって三つあって」や「なんでかって言うとね・・・」でした。というのは、大げさなような本当のようなところですが、とにかく論理的にものを考える訓練というのは相当量経験できました。

そして、自分は当時半ば強引に論理的になる訓練をしましたが、「もっと若い時、それこそ幼少のときからこれに近いことを日々やっていれば」と強く思うようになりました。

ロジカルというとどうしても「理屈っぽい」というイメージが先行し、ネガティブな印象をもたれてしまうような現状にも苛立ちを感じました。

「初等教育にロジカルシンキングを取り入れることってできないものか。もっと多くの若い世代がロジカルシンキングを、大げさなことではなく、基本作法として身につけることはできないものか・・・。そうすれば日本は変わるかも。野村の年金も満額でるかも!」

そんなある日、同じようにコンサルタントをやっていた苅野から電話がありました。(以前から苅野とは知り合いでした。)


「野村君、いっしょに会社つくらない?」


ちょうどその時野村は会社の人事部の人と今後のキャリアパスについて半分面談のような会食をしていました。が、いつも突拍子もなく愉快なことを提案する苅野の電話の直後には、人事との食事を強引に切り上げ、苅野がその時いた場所(六本木交差点のアマンド(笑))へ向かっていました。

苅野と、須田(ロジム創設メンバーの1人。現在ジンジャーツリーというインターナショナルスクールを経営しながらロジムのカリキュラム作成にも参画)と私の3人で集まり、何をやろうかと話合いました。

苅野は以前から教育関連の仕事を持っていたり、須田はちょうどジンジャーツリーを立ち上げているところでしたので、「新しい教育プログラムを作ろう。日本を楽しくしよう。えいえいおう。」ということになり、「小学生のためのロジカルシンキング教室を作る!」という方向はすんなり決まりました。

そこから、知り合いの大学の先生や出版社の方にアドバイスをもらったり協力していただきながら、教室の場所やカリキュラムを考え、向井が加わり、現在の先生・スタッフが集まり紆余曲折を経ながらもロジムはスタートし、皆様のご理解、ご支援も頂き今日のロジムになったわけです。

これが野村の視点からみたロジム設立経緯です。
(苅野バージョンが書かれる日があるかどうかは謎です)


駒場教室を開講したり、多くの授業を開発したり、そして多くの方にご協力・ご支援いただいたり、、、、、これからもロジムは存在意義のある教室としてより強固なカリキュラムとサポートを提供いたします。いつでもどこでも設立当初の思いや理念を忘れずにいたいものです。


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