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ロジムができるまで (野村の場合 留学時代)

ロジムを設立した経緯については、いくつかあるのですがその内の1つとなった野村の体験について書いてみます。

野村は、大学時代米国に交換留学しました。留学生用のカリキュラムではなく、現地の提携大学のクラスにそのまま参加し、単位をもらってくるものでした。それこそ自分で履修届けを出して、自分で単位を計算してというかなり恵まれた、そしてハードなものでした。

(今思うとまあ、よく大学も僕なんかを派遣したものだと思います。英語も大してできず、海外経験もなかったのですから。おまけにとってもちゃらちゃらしてました。。。。)

今ではよく聞く話かもしれませんが、とにかく驚いたのが日本の大学との授業スタイルの差でした。ディスカッション中心で、発言機会や影響力で評価がなされていくわけです。

新鮮ではありましたがとにかくきつかったですね。まずクラスメートの言っていることがよく分からない。自分の言いたいことが伝えられない。日本での自分は口数も多く、ウィットを効かせることを身上と考えていたので、翼を奪われた鳥のごとく、それはもう苦しといったらありません。

短期の留学生として特別扱いもされません。クラスには私以外にも留学生はたくさんいてバリバリ活躍していました。すでに「なんで僕を選んだんだ・・・。まったく無責任な!もっとちゃんと英語ができて海外経験のある人間を選ぶべきだ。」と大学に対する恩も忘れ、逆恨み状態です。

生まれて初めて「学校に行きたくない・・・」とベッドの中で憂鬱になったりもしました。

それでも、いつか自分が討論の中心になる日を夢見て、授業に足を運び続けました。

3ヶ月が経ち、英語にも随分慣れてきました。しかしです。依然授業で小さくなっている自分がいるのです。ここで気付きました。英語力は関係ない。何か、もっと大きなものが確実に違うと。

もちろんすぐにはこの謎は解けず、ドロップアウトしかけの野村はスポーツチームに入ってみたり、ラスベガスまで遠出して散財したり迷走のあげく、やっと1つ気付いたことがありました。

「そもそも自分が教わったことのない、物事を考える方法というものがあるのではないか。」

そうですね。読んでくださっている方は、「ああ、ここでロジカルシンキングと言いたいわけね」と思われるでしょうが、野村はこの留学では「なにか違う!なにかあるはずだ!」という仮説にも到達しない疑いを持つところで止まってしまいます。

単位をとること、英語でコミニュケーションをとることに拘泥し、1年の交換留学はあっという間に終わりました。

「向こうのエリートさん達は、なんか話したり、考えを組み立てたりするのがうまい」という程度の感心と劣等感を抱えて帰国しました。

野村が「ロジカルシンキング」という言葉に出会うのはこの3年後です。

(話が長くなってきたので、また明日書きます。)



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