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ロジム塾長
苅野先生
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ロジム
事務局長兼講師
野村先生
前編
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向井先生
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後編
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ロジム講師
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番外編
ロジム
野村先生&
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谷口さん

   
   
 
  vol.2 <後 編>    <前編>はこちら  
学習塾ロジム 事務局長兼講師 野村先生 
 
野村 竜一。県立千葉高校、東京大学理科Ⅱ類入学、教養学部卒。大学在学時米国へ交換留学。放送局、通信会社、コンサルティング会社を経てロジム設立。共同代表者。<詳しくはページ下に
自分の勉強方法が正しいかどうか解らない人に何かアドバイスはありますか?
野村

 経験主義者というと大げさですが、自分でまずやってみる、そして自分に合うか試す。トライアンドエラー信奉者になるべきです。そもそも勉強方法って人に聞いているようではダメだと思います。自分で嫌って言うほど試さないと。就職活動の時に「僕って何になったらいいですか?」って聞くのおかしいですよね。まず自分で調べようよって、そして考えようよって。それと同じようなものです。

 自分にあった勉強法にたどり着いたのは本格的に大学受験勉強を開始して3カ月ごろでしょうか。いろんな不安はあったのですが、自分で不安をコントロールすることを考えていましたね。「不安」って、なんの解決にもならないですよね。  

 小学生のころから「不安」をコントロールしてポジティブにしていたように思います。なぜか小学生で「オプティミスト(楽観主義者という意味の英語  ※編注)」という英単語を知っていましたから。暗い顔をしていると、人はついてこないな。笑っていると人は集まってくるな、ということに気づきました。人が集まると知恵が集まります。自然とポジティブでいると物事が好転しました。

大学に入って印象に残っていることや、学んだことはありますか?
野村  印象に残っているのはカリフォルニアへの留学経験ですね。これまでの人生で一番と言っていいくらい苦労しました。かなりの高倍率をくぐりぬけて大学のお金で留学出来たんですね。行ってみたら、何のコミュニケーションもできない。あれほど、日本で器用に立ち回っていたのに。  

 いかに自分が、日本で小手先のコミニュケーションをしていたのかを実感しました。同じ日本人だということだけで、中身もなく話していたことに気づき暗くなりました。  

 日本や、自分について、真剣に考えた経験が少なかったのですね。日本の外にいる人のほうが、日本について詳しいし、考えているのだと強く思いました。  

 お互いに共通のバックグラウンドがない人同士の会話は、必然自分の考えや立場の説明が内容の中心になります。しかし、それが無いわけですからコミュニケーションできません。英語力がついてきても、「あれおかしいな?話せるのに議論が続かない。」となるわけです。やはり振り返ると、話を構造的に組み立てていなかったり、キャッチボールの中の仕組みが考えられていなかったり、コミュニケーションを組み立てる力が圧倒的に欠けていました。ゼロに近かったと思います。  

 そんな経験を経て、多くの問題ごとは、コミュニケーションの中で、相手の話を聞き、その話の対立構造、類似構造、そして相手が何を求めているのかということをロジカルに考えられていないことが原因だと思いました。正確には、留学当時そんなことは気づかなかったので、気付きの芽を得たと言うべきです。帰国後、社会人になってから、人の気持ちを考える、人の主張の因果を考えることが、ロジカルシンキングなのだと思い至ります。「こう考えているから人はこう言う」「こういうことがあるから人はこう考える」ということを意識することがロジカルシンキングなのです。  

 世の中の対立やトラブルのほとんどは、相手の気持ちを考えた時に解決できるのです。ロジムで教えている「ロジカルシンキング」の本質は、「人の気持ちを考えること」だと思っています。そう考えると「思いやり」って最もロジカルシンキングなのです。

ロジカルシンキングのイメージには「思いやり」とか「あったかさ」的なものが結びつかないのですが、どうしてたどり着きましたか?
野村  留学時代に「何かが自分に欠けている」という気付きの芽を得た後、社会人なって、業務で使うツールとしてロジカルシンキングを学習するうちに、「これだ!」と思いました。対話の構造を把握すること、自分のメッセージの構造を意識すること、メッセージの因果関係を強固に意識すること。自分に欠けていたものがそこにあると思いました。

 さらに、ロジカルシンキングを心がけても解決できない問題にも多く直面します。「おかしいな、なぜだろう。なぜ論理的なやりとりで解決できないことがこうもあるのか」と考えるようになりました。よくよく考えてみれば当たり前ですよね、夫婦喧嘩や親子喧嘩、近しい知人とのトラブルは「それは整理するとこう言うことだから」では解決できませんよね。「それって要はさ・・・」「いや、要点なんてどうでもいいのよ。兎に角私は気に食わないの」という世界がそこかしこにあります。

 そこで問題解決の方法として、起きていることを整理するのではなく、人の気持ちに焦点をあて、それらがどのように絡み合っているのかを徹底的に掘り下げることを考えました。結果的に、ロジカルシンキングというのは人が何を考えているのかを汲み取り、自分が何を考えているのかをわかりやすく伝える方法だという自分なりの「ロジカルシンキング定義」にいたりました。  

 もちろん事実の因果関係を分解整理するのも必要だし、ロジカルシンキング、この場合論理的思考って言ったほうがいいですね、論理的思考が果たす重要な部分だと思います。ただ、ファクト(事実 ※編注)だけを考えても、身の回りの、それこそ家庭や学校での問題解決にはならないのだと思います。社会人がグロービスにいって学ぶロジカルシンキングと、小学生にも教えるべきロジカルシンキングの違いです。

 
ロジカルシンキングは「手段」「方法」というイメージがあるのですが、もっと本質的なゴールや、本質的な相手の気持ちを理解したゴールを、ロジカルシンキングというのでしょうか。
野村  ゴールをロジカルシンキングというわけではなく、そのゴールに到達するための方法の一つがロジカルシンキングだと思います。やはりロジカルシンキングは「thinking」なわけで、考え方や思考の「方法」であることは見失ってはいけないと思います。  

 先程も言いましたが、相手の気持ちをロジカルに考えることで多くの問題は解決すると思っています。解決に向かう可能性が広がるというべきでしょうか。  

 例えば政治家が、一見とんでもないこと話していても、彼が、どんな立場で何を言わないといけない状況なのかを考えた瞬間に、こちらの思考は変わるし、とる行動パターンは増えるのです。ワイドショーみながら「なっとらん!」と文句を言う以上の可能性が生まれます。  

 道端でだれかとぶつかって喧嘩になっても、その時にその人が何を考えているのかと考えた瞬間に行動の選択肢が広がります。とある人が起こす行動の理由となっているものごとや立場を考えるとことが、人の気持ちを考えるということです。

 ロジカルシンキングは因果関係に光をあてる思考回路です。因果関係を考える習慣をつけることで、人の気持ちを考える習慣がつき、多くのトラブルを解決できる。楽観的かもしれませんが、ロジカルシンキンを学ぶ理由はそこにあると思います。

「相手の気持ちを考える」ロジカルシンキングにたどりつける方法(スイッチ)はあるのでしょうか。大人にスイッチをいれる方法と、子どものころから身につける方法はありますか?
野村  まずロジカルかどうかというのは先天的なものでは決してないので、どの段階のロジカルシンキングでも慣れることで獲得はできます。ただ、その慣れを積む場が極めて少ないのです。大人にとっても子供にとっても、ロジカルに考えなくてもなんとかなってしまっている経験がとても多いのです。それこそバックグランドをまったく共有しない相手とコミニュケーションをとり、問題を解決することが日常である人は極々少数だと思います。子供にいたっては「ママ、ごはん!」で通じる世界で生きているのです。「気持ちの因果関係」に思考を巡らす必要がないので、いざ複雑な問題が起きた時に、解決が困難です。 ですから、大人も子供も、ロジカルにならなくてはいけない場をどれだけ経験できるかということに尽きると思います。擬似的な問題解決の場を学習の中や、先生とのコミュニケーションの中でいかに多く提供できるか、これがロジムがやろうとしていることです。  

 そういった意味では、大人もじっくり訓練する場所さえ設定できればロジカルシンキングを身につけることはできるはずです。ただ、問題なのは、1つは、すでに「非ロジカル」なコミニュケーションで「なんとかなる体験」を多く経験しているので、ロジカルであることの必要性を実感できないこと。2つ目は、仮にロジカルである必要に駆られたとしても、「年度末までにどうやって販管費をへらすか」「ベトナムでA事業部の新規事業を出すにあたって解決すべき課題は」というように極めて具体的な課題です。なかなか「気持ちのロジカルシンキング」が必要なところまではいきません。

大人に対するロジカルスイッチをつける興味はありますか?
野村  保護者の方にはロジカルさへの意識は持ってもらいたいと思うことはあります。やはり生徒が最も長い時間かけてコミニュケートする相手は保護者の皆様ですから。影響は大きいと思います。  

 大人に教えることで難しいのは、表面上ロジカルに見えることが優先されて、本質的なロジカルであることの有効性までなかなか伝えきれないところです。結論を先に言えばロジカルなのか、物事を大きく分けて3つに分ければロジカルなのかと言えばそうではありません。  

 やはりロジカルシンキングって理屈っぽくて生意気で、攻撃的なイメージはありますよね。「うちの子はロジカルじゃなくていいから、人の気持ちをわかるようになってほしい」という声も時々聞きますし。 周囲の大人がロジカルシンキングをそのように捉えている中でも、ロジカルシンキングを習った小学生はそれを使いたがります。手法だけ教えて演習の場を用意しなければ、小学生はそれを同級生や家庭で駆使し、どこか滑稽なやりとりを生み出します。そして「理屈っぽい」のレッテルを貼られ、小学生にとってロジカルであることの有用性は芽を出すことなく封印されます。 そうならないためにも、より多くの大人がロジカルシンキングが人の気持ちを考えることに密接するものであることを知り、子供が正しくロジカルシンキングの力を伸ばせる環境を用意できたらいいなと思います。そのためにも多くのお父さん、お母さんにもロジカルシンキングってなんぞやというのは知ってもらいたいですね。

今後、野村先生がやっていきたいことはなんですか?
野村  引き続き子どもたちが、ロジカルシンキングという作法を身につける場をたくさん提供したいと思います。議論に勝つためのロジカルシンキングではなく、日常の問題解決のため、もっと言えば主観のぶつかり合いを解きほぐすためのロジカルシンキングを伝えていきたいと思います。僕は「遊びの会」を解散させてしまいましたが、ロジムの小学生なら関係者の利害関係を解きほぐし、解決方法を見い出せるのではないでしょうか。ロジカルシンキングを用いて。  

 また、自分の出発点として、留学時の、バックグラウンドを共通としない人たちとのコミュニケーションロストがトラウマとしてあるので、グローバルで人と解り合える人材を育てることには寄与したいです。これまでこの国にまったく存在しなかった、英語ベースで行うコミニュケーション教室の立ち上げに興味を持っています。「それは英語塾とは違うんですか?」と思いますよね?まあそれはまたの機会に。

ロジムの好きなところはなんですか?
野村  相手の意見や立場をきちんと把握し、その上で自分の意見をきちっと言える生徒がいることです。そしてそういった生徒が、「20年後の日本は、もしかしたら今より盛り上がってるのではないか」と思わせてくれることです。  

 各種統計データを見たり、まじめに日本社会の分析をすると、20年後の日本は確実に今の日本より縮小しています。人口規模だったり、経済活動だったり、およそ活気という言葉につながる物事は全てです。これは精神論ではどうにもならない確定未来と言えるでしょう。やはり暗い気持ちになりますよね。そんな中でも、「もしかして、もしかして、ひょっとすると日本はまた活気に満ちるのでは」と、こちらの鳥肌を立ててくれる生徒がロジムには時々現れます。 今我々に必要なのは成長への意欲です。ロジムの生徒の多くにはそれが見えます。成長を欲する生徒がいる、そして彼らと対峙できる。なんだかんだ自分がそれで一番成長できている気がします。

野村先生、今日はどうもありがとうございました。
 
野村 竜一  
出身地 品川⇒横浜(小学校)⇒千葉(中学高校)⇒東京(大学以降)
出身大学 東京大学 (UCSB交換留学)
現在のロジムの立場 事務統括、運営管理
教えている科目/役割 3年生全般、4年生国語・理科・社会、高学年ロジカルシンキング
最近読んだ好きな本 「進化と人間行動」長谷川寿一・長谷川眞理子、「(日本人)」橘玲
「H2」あだち充
小学生に読んでほしい本 「オオカミ王ロボ」「伝記 源義経」 自分が小学生の時に読んで強烈に印象に残ったので。どの本というのはありませんが、本はたくさん読んで欲しいです。漫画も含めて。本を読むことで人の1年間は730日にも1000日にもなると思います。それが読書の価値です。
尊敬する人物 村上龍(作家) 理由は、彼の絶えず新しいことに挑戦する姿勢や、本質を貪欲にみようとする視点、弱いことへの痛々しいほどの危機感など挙げればきりがないですが、単純に彼の小説を読んでいる時、時間を忘れて楽しめるからです。ページを読み進めるごとに「話が終わりに近づく。もったいない。でも読まずにいられない」と思える作品は彼のものだけです。
いま熱中していること サーフィン(始めたばかりです)、フルマラソン(今4時間ランナーです。次でサブフォー入り予定です)、プログラミング(PHPです。ゆっくりやってます)、ゴルフ(次で100切る予定です)
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