それからです。アルバイトという立場でありながら、塾の講師の仕事にのめり込みました。おかげで司法試験の勉強は1年に3ヶ月くらいちょっとやる程度になってしまいましたが。 司法試験はかなり疑問を持ちながらの勉強でした。法学そのものは結構好きだったのですが、六法すべてをやる気になりませんでした。特にこじつけっぽい理論をそのまま覚えて論述するといった形の勉強がピンと来ませんでした。今思えば、そういう方向をとらずにやる方法もあったな、という感じですが、それにのめり込むよりも、塾の仕事が面白かった。ちょうどそんな時ロジムとの運命的な出会いがあったのです。
バイトとして、1年更新の契約社員として働いていた時に、大学時代の友人から連絡があって、たまたまロジムを立ち上げる苅野と野村の二人に出会いました。
「ロジカルシンキングの塾やろうと思うのだけど」と。 「さすがに受験を交えないと難しいよね」、最初はそんな話をしました。
2004年の6月ぐらいに話をしたのですが、僕は塾の仕事が自分の中で盛り上がっていて、当時の講師内でもベテランの域になり、とても忙しかった時期だったので、ロジムにはその年の受験シーズンが終わった後ぐらいに話に加わるようになりました。
大手の塾だと「教える」「覚えさせる」ことがメインになってしまうのは問題点として持っていました。保護者も「合格」「成績」だけに目が行き過ぎている。結局その場しのぎの対応になることが多いのです。でも、それでは勉強の楽しさは伝わらないと思っていた矢先だったので、「ロジカルシンキング」との出会いは感動的でした。まさに子どもたちに伝えたかった、「考える道筋」そのものでした。特に国語においては実はそれが全てなのです。「これだ」という出会いでした。
その他、主に野村のフォローで多少の事務系の仕事もやりますが、はっきり苦手です。それでも、意外と注意深くて心配性な性格なもので、そういう自分を活かしつつ、日々精進しています。
もう、10年以上も教えていますけれど、不思議とあきないのは、毎年子どもの顔が違うからでしょう。教える内容が同じでも、子どもが違えば雰囲気も変わるし、どうやったら勉強に積極的になれるかをその場で考えながらやっていくので面白いのです。
学校の授業は、1クラス50名ぐらいいると、密度が薄まりすぎます。ロジムのように、少人数での指導が必要です。生徒と先生の交感があってこそ教育は成り立つ、と思います。また、学校や大手塾のように、かちっとカリキュラムを決められて進むのもあまり好きになれません。自分のスタイルで教えたいのもありますが、それよりも生徒個々によって、課すべき課題や導き方はちがうから、という理由が大きい。そしてそれがやりたいことなのです。
勉強が楽しいと思えた生徒の成長は早いです。逆にやらされている間は負の感情だけがたまっていく。そのためにも、1年生など低学年の子どもには、勉強の題材のネタを面白いものにしたり、ゲーム方式を取り入れたりと工夫しています。生徒同士で正解はどれかの議論をさせたりもします。すると活気がでてくるのです。これらは一つの例ですが、講師全員がいろいろな工夫をして、授業が盛り上がる仕掛けを作っています。 また、授業では積極的でも、家ではしないという生徒に対しては、褒めてみんなで拍手というように、あの手この手で子どもたちに成功体験を作ってあげるようにしています。個人的には、そうやって勉強に自然と親しみを覚えた子が一番伸びると、今までの指導の経験から感じています。
やりたい理由は、危機感として、周りの目を気にして話せない子どもが多い気がしているからです。それが大人になってからの自信のなさ、答えがわかっているものにしか向き合えないひ弱さにつながり、社会全体の閉塞感が生まれる要因の1つになっていると感じています。 それを打開して、自分の意見を言えることが大切です。話し合って、ことばで自分の意見を言わないと、人同士は分かり合えません。いくら日本人が以心伝心で通じる文化を持っているとかなどといっても、相手を思いやりながら、相手が何を考えているのか理解して話すコミュニケーションは、絶対に必要です。 それにしゃべっている間に、自分の中のあいまいになっていることが整理できた体験は誰しも持っているはずです。だからもっと子どもたちにしゃべらせる。その仕掛けがつくれないかを考えています。 たとえば、いろいろなバックボーン持つ大人を呼んできて、その人の話すテーマについて、生徒と一緒に話を聞きながら考えていくといった学習です。職業訓練、職業紹介などと織り交ぜてやっても面白そうだと考えています。子どもにいろいろと体験してもらいたいですから。まだ、具体性は全くないのですが、ロジムでもそんな話を苅野や野村と、ときおり話しています。
※向井先生前編はこちら
小学生の時にやっておけば よかったと思うこと