メイン

学習について(〜2012) アーカイブ

2008年08月13日

長い長い夜に

このタームには、「立体図形」と「場合の数と規則性」という講座があります。どちらも苦手とする生徒が多いのですが、これに「整数の性質」「平面図形」を加えた4分野は小学生の算数、さらには初等数学において花形分野です。いずれも、自分で手を動かし、試行錯誤をしなくてはいけません。だから苦手とする生徒が多いというのは悲しいことですが、これらにしっかりと取り組むことなくして算数や数学が得意になることは絶対にないと言えるでしょう。せっかくの休みです。1問にじっくり取り組んでみてはいかがでしょうか。
DSCN1125.JPG
立体図形の授業風景。CGを使うと切り口の変化などは、実際に切る以上にわかりやすく観察できます。

プレゼント問題
10を2の2乗で割ると余りは2の1乗
100を2の3乗で割ると余りは2の2乗
1000を2の4乗で割ると余りは2の3乗
10000を2の5乗で割ると余りは2の4乗
(2の〜乗とは2を〜回掛けたもの。2の4乗は2×2×2×2=16)
なぜこのような規則になるのだろう?

(関連エントリー) 

2008年08月11日

繰り返し繰り返し

6年生は昼、夜2回の算数の問題演習が行われていますね。すでに小学生として必要な知識はほぼ理解している状態になっているのですが、問題を解く力というのは自分の手を動かして解ききって初めてついてくるものです。解説も同じような内容が繰り返されているのですが、問題を読んで「またあの問題か。いつも先生が、・・・っていってるやつだよな。」とすこしうんざりしてきたら力がついてきた証拠です。小学校の算数としては総まとめの時期ですが、数学まで含めればまだまだ基礎段階。いい機会ですから、集中してトレーニングしましょう。
余談ですが、中学入学後もこういったトレーニングは必要ですよ。受験が終わるととたんに反復トレーニングを馬鹿にする生徒&保護者が多くなりますが、数学でこそこういったトレーニングは必要です。ファインマンさん曰く、大学で壁にぶつかる生徒の多くがこういったトレーニングを怠っているからだということです。学問は修士を終える位まではすべて基礎。しっかり取り組みましょう。

(関連エントリー) 

2008年06月25日

算数・数学は役に立つのか?

先日、「世の中には1で始まる数が多い」というブログをアップロードして、昼ご飯から戻った所、ホワイトボードに向かって向井先生と野村先生が議論しながらその証明に取り組んでいました。私も説明を求められ多いに時間を消費しました。
「算数・数学は何のために勉強するのか?」という疑問(というか不満)を口にする子供の話をよく聞きますが、現実問題として小学4年生レベルまでの勉強は日常生活で必要ですが、それ以降はなかなか理由が見つかりません。論理的思考力?ビジネスに必要な数的センス?色々な効用が噂されていますが、実際の所はどうなのでしょう。経験則で言えるのは、小学生レベルで「〜のため」という動機付けで渋々勉強したものなど、社会に出て武器になる域まで達することは決してないということです。
必死に説得するより、必死に楽しませる。楽しみを見いだした人間はやはり強いと思います。
今週の一問って大人の購読者も多いんですよね。こういったものにチャレンジしたくなる、つまりチャレンジする楽しさを知っている人は結局優秀と言われるレベルに達するようです。

(関連エントリー) 

2008年06月18日

抽象的に考える力

苅野です。現在午前3時13分です。
眠い目をこすりながら、数学の本を読んでいました。
久しぶりに自分の知らないことに腰を据えて取り組んでいます。
で、感じたことをつらつらと。

算数、数学って抽象的というか抽象化の学問です。具体的な実験結果を集めなくても、抽象化された記号をルールに従って扱うことで厳密な結果を得ることができます。アメが5個でも5、チョコが5個でも5、さらにアメ2個とチョコ3個でも5というのは最初に触れる抽象化ですが、具体的な色や名前などは無視することによって、限られた記号に置き換えて考えることが可能になるのです。

ただ、この抽象化というのは、便利ですが、やっかいなものでもあるんですね。上記の数え上げを学んだときに何か違和感を覚えてしまった人も多いでしょう。(当時の記憶はもうないかな?)このやっかいさとは何なのか。それは元となっている具体的なものを取り扱った経験が少なかったり、全くない状況では抽象化された記号を取り扱うのが難しいということです。

500×3/5などという計算の答えを求めることは、3/5という記号によって抽象化された「5つに分けたうちの3つ」という具体的な作業をしっかりと意識出来ていなくても可能ですが、□×3/5=300の□を求めたり、文章題になってくるとやはり3/5という記号と「5つに分けたうちの3つ」という具体的な作業をきちんと結びつけることができないと対応できなくなってきます。なにより、直感的に扱えないのでスピードが遅くなりますね。

どうすれば抽象的な記号に具体的なイメージをしっかりと結びつけて、直感的にスピーディーに扱えるようなるのか。それには、本当に馴染みのある具体的なイメージとの関連性をしっかりと確認しながら学ぶこと。そして、とにかく毎日触れることです。

前者は、子供の人生経験値によるのでどのような事例が良いのか子供の反応を見ながら色々と提示してあげるしかありません。後者は、力業ではありますが毎日触れていると自分なりにその扱い方が分かってきますし、おぼろげだった記号の意味に輪郭が出てきます。

自分の理解のぎりぎりの所にある数学を勉強していると、集中してどっぷりつかってそしてイメージと記号を行ったり来たりしていないとすぐにわからなくなってしまうんです。1日空いてしまうと、もとの状態に戻すのに数時間かかります。

割合や比、数の性質など高学年になると抽象度の高い分野が多くなりますね。とりあえず毎日簡単な問題でよいので取り組んでみましょう。毎日というのがポイントです。簡単な問題を繰りかえすだけで、本質がだんだん分かってきますから。

それでは。フランス対イタリアが始まっているのでこの辺で。あー、リベリが交代。フランスピンチ。

(関連エントリー) 

2008年06月02日

語学の上達には多読

最近では、小学生から英語を習う子供がとても多いですね。苅野も小学生の時、週に1回英語を習っていました。当時としては先進的?だったでしょうか。
しかし!これは確実に言い切ります。週に1度2時間習った程度の英語は、「全く」役に立ちません。そして「全く」残りません。子供の時間感覚では週に1度というのは、すっぱり忘れるのに十分な期間ですし、そもそも週に1度などというのは語学を習得するのには全くナンセンスなペースです。
毎日1時間以上、自分の目、耳、口を動かして初めてまともな語学力が身に付きます。
これぐらいやるには断固たる決意が必要ですね。
というわけで1つお勧めは、毎日でも何度でも読みたいもの、見たいものを題材にすることです。推薦図書になるような名作などは、あまり気持ちがのりませんね(苅野の場合)。日本語でそうなのですから、外国語ならなおさらです。マンガでも、大して中身のない流行小説でも、読まないよりは読んだほうが断然良いのです。
DSCN1062.JPG
苅野がすでに10回は読んだ本。世の中の語学教師のお薦め本とはほど遠いラインナップです。真ん中は「スラムダンク」。日本のマンガの外国語版もお勧めです。
ちなみに外国の本は、朗読CDが出版されていることも多いので、お気に入りの本と一緒にそろえてシャドーイングにも良いですね。苅野のipodには、ハリーポッターの朗読CDが入っています。

(関連エントリー) 

2008年05月28日

CGを使って図形の勉強

最近は、コンピュータを使っての数学や算数の学習がとてもしやすくなっています。大学の研究室などでは、以前から使われていましたが初等教育でこのような先進的な技術を使っての授業が可能になった(というか先生達が使えるようになった)のは最近です。立体の勉強は直感的な理解がとても大切ですので、このようなコンピュータを使った教材で切断などについて考えるのはとても有益ですね。ロジムでは、図形演習IIなどの授業で活用されています。苅
 DSCN1059.JPG DSCN1058.JPG
正二十面体は正十二面体よりも頂点が少ない! コンピュータの登場以来入試頻出のコッホ曲線

(関連エントリー) 

2008年02月23日

添削プリントの再提出形式と保管法について

添削プリントについて、再提出の指示があった場合のルールとお勧めの保管法です。

【再提出のルール】
写真1の通り、A4のルーズリーフ(無地、罫線はお好みで。5,6年は出来る限り無地でがんばりましょう。)に、授業名、添削プリントの通し番号(2008-01から始まります。)、再提出の回数、名前を明記して、元の添削プリントにはさんで提出してください。
DSCN0998.JPG
(写真1)保存を考えて、A4を使いましょう
DSCN0999.JPG
(写真2)提出は元の添削プリントにはさんで

【保管法】
バインダーに透明ポケットを活用して保管します。プリントは見やすくするために、透明のポケットを使って下さい。直したルーズリーフと並べて保管していきます。時間のあるときにプリント、再提出したルーズリーフをすぐに見ることが出来るようにしておくとよいでしょう。この形式は6年生になったときに、「過去問の演習&解きなおし」でも採用されているので、是非試してみてください。
DSCN1001.JPG
(写真3)A4のバインダーとルーズリーフ,透明ポケットは、小さな文具店では取り扱いがない場合がありますので、東急ハンズなどをのぞいてみてください。

(関連エントリー) 

2007年08月28日

手首の運動神経

苅野です。夏期講習が終わり、本日は最後の補習が行われていて、教室はにぎやかです。

今日は、最近非常に気になる「運筆能力」についてです。
「低学年でやっておきたい算数」でも、重点的に取組みましたが運筆能力というのは深く考えたり、問題を解いたりする上でとても重要な要素です。記憶には限界がありますから、整理して見やすく書きとめ、考えている最中に適宜参照できるようにしておくことはとても大切なのです。そしてなにより読みやすい字をすばやく書くことは、相手に見てもらう答案を書く上で最低限身に着けなくてはいけない基礎能力だと言えます。最近、学校開催の個別相談で一番多いものが、保護者が汚い字の模試の答案を持ってきて「この字で読んでもらえるでしょうか。」というものだそうです。誰もが憧れる学校の先生曰く「小6の保護者の年齢にもなって、人が読める字かどうかの判断がつかないのか。もし、他の子の雑さとの比較で読んでもらえるレベルを知りたいという考えであれば、その家のしつけに対する考え方が窺い知れる。」
全くその通り。整った字や図を書くためには練習が必要です。

・異常に筆圧が強い
・まっすぐな線が引けない
・字のバランス、図のバランスが悪い
・円の塗り絵をきれいに塗れない

などは、矯正するための練習が必要です。年齢が高まるにつれて、まともになっていくということはありません。

(例題)
とても大きな直方体のねん土のかたまりがあります。底面の半径が10cm、高さが30cmの円すいを、円錐の底面がねん土の面と垂直であるまま、ねん土を真横から見たときにちょうど円すいが見えなくなるまでおしこんで穴をつくりました。そこに入る水の量はいくらですか。
問題には円錐の絵が描いてあるだけです。穴の絵を正確に描けるでしょうか。下は、この学校に合格した生徒が解いたときに描いた図です。このように書き出せればこの問題はかなり単純な求積問題になりますね。

R0021031.JPG

この図を見せながらでも、再現できない生徒は数多くいます。運筆能力はすべての勉強の基本です。読めない字は書いていないものと同じです。まず、読んでもらうという意識。そして練習しましょう。

(関連エントリー) 

2007年05月14日

人が楽しんでいるものは楽しそうに見えるんです。

私は、都内の大学の半付属の中高一貫高に進学しました。学年担当の先生達が6年間持ち上がりという制度だったので、中高6年間ほとんど同じ先生達から指導を受けました。というわけでまとめて中高編です。

「どうやって算数・数学が得意になったのか?」という質問から始まったお話ですが、私はこの学校で数学だけでなく勉強、さらには字を読むことまで嫌いになりました。坊主憎けれりゃ袈裟までというやつですね。おかげさまで、私はいまだに視力が左右とも2.0です。目の健康を気遣ってくれた、私の中高時代の授業を振り返ってみます。

入学後、私はとんでもないところに来たとショックを受けたことを覚えています。それはみんなが「勉強=すべきもの」「宿題=やるべきもの」「順位=あげるもの」という考えを当たり前のように持ち合わせていたことです。そして、先生もまた同様でした。まあ、一応「進学校」を標榜している学校でしたから、当たり前なのですが、志望動機が「坊主ではない(地元の公立が坊主強制だったので)」「受かりそう」「近い」だった私は全く馴染めませんでした。

「勉強=すべきもの」という前提が成り立っているので、先生達に授業を面白くしようという意識は全くありません。ただでさえ、身近に感じにくく無味乾燥になりがちな中学、高校の数学カリキュラムをひたすら朗読される毎日です。義務を履行する生徒達とそれを監視する先生達。中途半端な自称進学校によくある風景ですね。
当然、落ちこぼれました。300人いましたが下から20番以内を常に確保。高校生になると下から10番以内を確保し続けます。全盛期の高2では下から3番。私より下の2人は学校からいなくなりました。10段階の平均で3ぐらい。通信簿は真っ赤でした。数学は1です。

当時、数学担当の先生と交わした会話です。
「おまえ、やる気ないだろ?」「ないわけじゃないんですが先生の声を聞くと眠くなるんですよ。」「おれも眠いけどがんばってるんだから、おまえもがんばれよ。」
私の数学の先生は、数学の楽しさを教えてくれるのではなくて、数学を通して我慢することを教えてくれていたんですね。ありがた迷惑な話です。

こんな具合ですから、居心地が良いわけがありません。宿題をやらない私にご丁寧に説教までしてくれる同級生まで出る始末でしたので、中3で親に「退学してバスケの強いK高校に行きたい」と申し出ます。バスケットが好きで、これだけは一生懸命にやっていましたので。しかし、私の親は「あんたにいくらかかったと思ってるの!」と保護者が受験生に言ってはいけないNGワードを次々と並べて罵倒して私の心を折ってくれました。

完全な無気力少年となり、成績的にも学校のお荷物状態となった私は、高3の夏に部活を引退した後は、不登校になりました。家を出た後、九段下で途中下車をし、神保町の古本屋街で立ち読みする毎日です。しかしここで、私の人生を変える出会いがありました。靖国通り沿いの古本屋をほぼ制覇した私は、白山通りの古本屋に進出します。その先に、当時も今も無名な小さな塾がありました。立ち読みに飽きてふらふら歩いていると、その塾の前で小学校の塾の同級生に出会いました。立ち話をしていると、その同級生の塾の担任の先生であり、後に私の担任にもなるN先生が通りがかりました。同級生がわたしのことを紹介すると「大学は推薦で行くのか?」と聞いてきました。「いえ、受験です。」「塾は?」「いってません。」「じゃあ、うちに来いよ。」推薦を蹴って国立を受験する優秀な生徒と思ってしまったらしいのですが、とにかく私の通う塾が偶然に決まりました。

塾のクラスではなんと男子は私一人のみ。クラスメイトは、桜蔭と女子学院と雙葉のみ。渡された教科書で理解できるのは数字のみ。申し込みを後悔しつつ、初回の授業に出席しました。やはり全くわからなかったのですが、授業中に先生が話してくれて、今なお覚えている話があります。
「先週勉強していて気づいたことがある。それは・・・・・。これが証明できればおれも有名人だから、しばらくがんばるよ。」
・・・・の説明は理解不能でしたが、おじさんである先生がいまだに勉強していて、証明して有名になるためにしばらくがんばっている。30過ぎのおじさんも、そしてクラスメイトのみんなも面白がっている。その姿を傍目から見ているだけで、その・・・・がなにかとても魅力的なものに思えてきたのです。

すでに捨ててしまっていた教科書を三省堂で買い求める所から私の数学の勉強は再スタートしました。「楽しいものを勉強している」という意識がわからないなりにもあり、マンガを読むように集中しました。自分が楽しんでいる人は、初心者を喜んで受け入れてくれるもので、先生もクラスメイトも競ってわかりやすく、楽しそうにねばり強く説明してくれました。

1教科楽しくなり、得意になるとその手法は応用がきくものですし、「勉強には楽しいものがある。」という意識も芽生えていたので食わず嫌いせず幅広く手をだし、受験に必要な科目をそろえることができたのです。

その後、教える立場になりこの先生と机を並べたことがありました。常々おっしゃっていたのは、「生徒は教師があこがれるものにあこがれる。教師が楽しそうに物事を追いかけていれば、生徒達は後について必死に追いかけてくるものだ。」ということです。

(この話のまとめ)

私は、全く数学を楽しんでいない教師と人並み以上に数学を楽しんでいる教師の両方に教わる機会があり、後者の効能についてとても実感を持つことになりました。
もちろん、中・高生に、「理不尽な社会と会社の規範に従う忍耐力」の土台をつくることは必要だと思いますが、貴重な数学の授業(だけでなく英語、国語、社会、理科)を使う必要はないと思います。私が、数学について現在のレベルにまで至ることができ、そして、数学について人と比べて得意、不得意だということを気にすることなく、現在でも数学について学びたい、知らないことを知りたいと思う気持ちを持ち続けているのは、数学が学ぶに値する楽しいものであるという思いを強く抱くことができたからです。

人が物事を得意になるきっかけには様々なものがあると思います。必要に迫られたからということもあるでしょう。しかし、今回のテーマである算数、数学についていえば、小学生、中・高生が「必要に迫られる」ことはほとんどありません。高いレベルに到達するには、無味乾燥な基本トレーニングも数多く必要です。教える側として意識しなければならないのは、「教える側が楽しんでいないものは、教わる側も楽しめない。」ということです。数学が楽しいものであるという思いを持たせることが大切です。そのためには、教える側が楽しむ姿勢を見せる、(本当に楽しめれば尚よし)ことが最も大切です。もし、大人がしつけの一環として「やるべきこと」として権力をつかってやらせるならば、それは好きになり、得意になることと引き替えであることを覚悟しなければなりません。

「やるべきこと」を決めてもらって、それを遂行することが心地よい人もいるかもしれません。しかし、それではいつまでたっても誰かの追随者にしかなれないでしょう。少なくとも私はそのような安易な追随者と一緒に、自分の好きな算数や数学について話をしたいとは思いません。

どうしたら算数・数学を好きになってもらえるのか?まずは、ご自身で算数・数学の楽しみを見つけ、子供そっちのけで、そして子供の見えるところで楽しんでみてください。親が好きなものに子供は大きく影響されますから。

(関連エントリー) 

10分の遅刻はその日の授業を無意味にします。

学校の下校時間によるものであればまだしも、土日の授業などにおいても最近目立ちます。授業の冒頭は、その日に習うことの説明になります。10分の遅刻は10分の損失ではなく、その日の授業のほぼすべてにおいて効果を損ないます。特に5年生までは完全に未習の分野について学ぶことが多いので、冒頭の説明抜きでは、それ以降の演習、解説が全く理解できなくなります。授業にきちんと出席することが最も大切で基本的なことです。授業に出てもらえなければ、指導をすることができません。

(関連エントリー) 

karino

プロフィール

東京大学卒業後、大手人事・経営コンサルティング会社で社会人向けのロジカルシンキング研修、指導を担当。その中で、英語教育などと同様小さい頃から考え方の基礎に親しむ必要性を痛感し、2004年に退社、ロジムを設立。現在、都内2教室で小学生を対象に、教科授業と並行してロジカルシンキングの初歩をかみ砕いて指導。 執筆・講演の依頼はこちら

twitter

メールで更新を受け取る

塾長ブログ/講師ブログが更新されたらメールでお知らせ:

2014年09月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

アーカイブ