2008年09月10日

誤診・誤処方

「計算ミスが多くて」「図形が苦手で」・・・
などご相談を受けることがありますが、実際にテストの問題用紙に書き込まれているものを精査してみると違った診断結果となることは多いです。
本当のミスなのか、実は全く理解出来ていないのか、そもそも問題自体が高度なひらめきを要求するもので対策がとりにくいものなのか。
誤処方までされていると、時間的にも体力的にも大きなロスです。通常のカリキュラムと宿題以外にご自宅で何らかの課題を設定して取り組む場合、是非一度ご相談を。



2008年09月09日

解説を読む そして 得る・疑う

 こんばんは。学校もロジムもいよいよ2学期の授業がスタートしましたね。学判の結果もぼちぼち届き、6年生は本格的な入試演習が始まり、なんとなくあわただしい2学期のスタートとなっています。 
 
  さて、テストや日々の宿題、入試演習すべてに共通することですが、皆さん「解説」はきちんと読んでいますか。算数に関しては、とき方に差があったりするので、除外しますが、国理社に関して○つけまでやる課題が出たときは必ず解説を一読するようにしましょう。

 社会や理科では思わぬ知識の関連がわかったり、知識事項の確認ができたりしますし、国語では、本文の根拠や消去の理由がはっきり書かれていたりします。それを読むだけでも効果は大きいですし、欲を言えば、そこで自分の選んだ答えがなぜいけないのかを十分吟味してほしいところです。

 国語では正解の選択肢の解説しかなく、他の選択肢がなぜいけないのかが書いていないものも多くあります。そこで立ち止まって、本文をもう一度参照して、自分の解答が正解ではない点を考える。実はこの作業こそが「読みの客観性」を高めていきます(注目していない言葉があったとか、逆にある言葉だけにとらわれていて、他の部分の検証をしていなかったとかいう発見があります)。
そういう作業の繰り返しがいつの間にか、血肉となって読解力を高めるのです。要は自分の答案について、常に明確な根拠を持ったうえで、その自分に足りなかった点を発見していく過程を大切にする勉強をしてほしいということです(ちなみに添削プリントはこの「自分の論拠」と「誤りの指摘・修正」という思想に基づいて設計されていますから、それをきちんとやることはとても大切なのです)。

社会や理科の問題はそれ自体新たな知識を内包するものである場合が多く、解説でさらにそれが補強されます。たとえば今日の6年生の入試演習の問題です。

Q沖縄について正しくないものは?
ア 江戸時代に薩摩藩の支配下におかれたが、同時に中国との交易も続けた。
イ 明治時代に強制的に沖縄県にされた。
ウ 沖縄戦では12万人以上がなくなった。
エ 1951年のサンフランシスコ講和会議で日本は48カ国と平和条約を結んで独立を回復し
たが、沖縄は占領されたままだった。
オ 1990年、沖縄は返還されたが、基地は残ったままだった。

答え自体は簡単で「オ」が誤りですが、ア~エの選択肢から、沖縄戦の戦死者の数や、沖縄県ができた時期などもわかりますし、その解説からは、沖縄県の成立時期(1879年・廃藩置県時より遅い)や、現在アメリカの基地の75%が沖縄に集中していることなどもわかります。

Q土星の衛星で、大昔の地球とよく似ており、小型探査機が着陸したものは?

 ア フォボス  イ タイタン  ウ ガニメデ  エ エウロパ

これもウやエは知らない人も多いのではないかと思いますが、解説をしっかり読めば、フォボスは火星、タイタンが土星、ガニメデ・エウロパは木星の衛星だとわかりますし、タイタンが地球に近い組成の衛星だということもわかります。

 懸命に取り組んだ問題は印象に残るものです。せっかくですから、そこから得るものを何倍にも膨らます努力をしてほしいものです。
過去逆境を跳ね返してきたお子様たちは、われわれも知らないようなことを覚えていて、「過去問に出てたから」とか「過去問で見たことある」などとよくいっていました。皆さんも是非見習ってほしいものです。

                                     む



2008年09月08日

さあ新学期

4年生も含めて、とても大変なカリキュラムになってきます。
とにかく休まないこと!休んだ人は休まなかった人に遅れをとります。その部分が苦手になります。
休んでも誰かがなんとかしてくれて、追いつける。この考えは甘い。休まない人の立場になってみればわかりますよね。単純な話です。



2008年09月07日

効率的に

5年生ももうすぐ全ての勉強内容が終わります。6年生はいよいよ試験が身近に感じられる時期です。
さて、問題演習は効率的に行いたいですよね。つまり、最小の力で最大の効果。このために意識しなくてはいけないことは、「同じ問題に取組むことを嫌がらない」ということです。
小学生学習範囲で出題できる内容には限りがあります。中学入試に関わっている人間なら誰もが気づいていることですが、「新傾向」の問題というのは、実はほとんど見当たりません。灘、開成、筑駒にしても、焼き直しがかなりの部分で見受けられます。
このような状況ですから、どの塾のカリキュラムも通常のテキストでほぼすべての必要項目を網羅しています。ですから、一度取組んで出来なかった問題に取組んで穴をつぶしていくことが最も効率的なのです。さらっと見た過去問に驚いたり、噂を聞いたりしただけで、通常テキストに穴がある状態で~中に特化したテキストなどに取組むのは実はかなり非効率。学校対策としては、ボリュームと時間のバランスに慣れる程度のことしかなく、それぞれの問題は通常テキストの問題で合格点を確保できますし、基礎の弱さを、その学校特有の難問で挽回しようなどというのは愚の骨頂です。
出来ない問題を出来るようにするなら、まずは一度は取組んだ問題から。効率を考えれば当然なのです。



爺のひとりごと013

爺じゃ。

この休みを利用して温泉に行ったあとは、
仕事の合間にひたすらドラゴンボールをレンタルして満喫しておった。
懐かしいのぅ。
噂によれば、今の小学生もかなり流行っているとか。
今日ついにピッコロ大魔王が登場しおった。
まったく、将来マジュニアがいいやつになることを知っておっても、
なかなかヒドい憎い奴じゃ。
ま、やじろべぇの強さには驚いたが…。

それにしても、昔の記憶とはあいまいなもので、
ドラゴンボールの他にスラムダンクと白い巨塔も見てみたが
内容を結構忘れておるもんじゃ。
昔を我を忘れるなんてもの以上に集中して見ておったのに。
子供たちがちょこちょこ知識を忘れることと照らし合わせてみると、
やはり「普段(日頃)からちょくちょくと記憶に触れないから」じゃな…
と思う今日この頃じゃよ。
ドラゴンボールもスラムダンクも白い巨塔も、
今日から毎日ストーリを思い出してから寝れば
きっといつまでも記憶に残っているのじゃろうな。

そう、やはり「継続は力なり」じゃ。
悟空に言わせれば、「継続はリキなり」じゃろうか。
ほっほっほ。(爺)



2008年09月06日

小学校3年生終了までに身につけるべき学力を考える

徹夜でカードゲームに興じる人々を見ていて徹夜してしまった野村です。
なにやってんでしょうか・・・・・。

ところで、

教科書や参考書や辞典にすぐ手の届く環境で、
小学生に問題なり、作業を課すとします。

何人かの生徒に同じ課題を出してみると、
驚くほど解答、作業精度、作業時間に個人差が現れます。

ほんとに「驚くほど」の差なのです。

資料にすぐに手を伸ばし、調べ、途中で調べ方や資料を変えて、
解答につながるヒントを自分で整理し、そして脳みそという思考の工場で結論をまとめる。

方や、うんうんうなって手がストップし、考えているようで思考自体もストップ気味の生徒や、
資料に手が伸びるのはいいが、目的の情報になかなかたどりつけず時間だけが過ぎるのを
待つ生徒。

しつこいですが、まさに「驚くほど」差が現れています。

普段習わないのでしょうね、そして重要視されていないのでしょう、
「調べる力」「検索・参照する力」。


以前、精神科医の和田秀樹氏が著書の中で、
有名大学にいる生徒が全てにおいて優秀とは言えないが、共通した能力があるといった文脈の中で、
「東大をはじめとする有名な大学に在籍する学生と、そうでない学生の何が違うかというと、
なにか作業する時に、資料や電話に自然にすっと手が伸びる。思考停止にならない。」ということを書いていました。(出典忘れてしまいました。すみません。)

これ同感ですね。

現在、ロジムでは、小学校3年生以下の「学習能力到達度をはかる基準、指針」をなんらかのかたちで打ち出そうとしています。

厳しい言い方ですが、現在あるようなテストの点数でのみ到達度をはかり、それに一喜一憂し、結果を分析しようとしない、生徒、保護者の皆様には辟易することが多々あります。

ただ、我々のような学習教室や、それこそ小学校の場で、そういった基準・指針となるものが明示されてないという問題もあり、十把ひとからげに点数競争を批判するのも難しい状況です。

そこで、「小学校3年生終了までにこれが出来るようになったらすばらしい」という指針・基準(もしくは「イメージ」といったほうがいいかもしれません)を考えるというロジム内プロジェクト(←若干大げさ)です。


そういった到達点を考える作業の中に、さきほどの
「調べる能力」「参照する能力」を測る方法を考える
というのは、確実に入ってくるのだろうなと思いました。



2学期授業は9月8日(月)からです

念のためリマインドですが、

2学期授業は来週9月8日(月曜)からスタートです。

今週末(9/6 9/7)は全授業ありませんのでご注意下さい。
(一部補習対象者には御連絡済みです)


(参考)ロジムカレンダー
http://www.lojim.jp/2008.html



2008年09月05日

広田の豆知識 ~字(あざな)~

たまたま三国志というか国名を調べているうちに辿り着いたのですが「劉」の字義が、「刀を使ってバラバラにする」だと知って吃驚しました。まさにKILLです。
劉備の、というか漢王朝の名前がそんな意味だったとは…

こんにちは、広田です。冒頭から過激な内容になってますね(苦笑)


今回は豆知識の回です。
まぁ知ってて得するような知識ではないですが、興味のある方がいたらいいなぁ程度にお話します。


このブログにて広田が三国志を語る上で、よく人名の「字(あざな)」を目にすると思います。
「孫策(伯符)」の( )の所が「字」にあたります。
ちなみに(策)の部分は「諱(いみな)」といいます。
今回は「字(あざな)」の豆知識をご紹介します。

その「字」なんですが、名に何となく関係のある漢字*1を使ったり、兄弟で1つの字を共有して、兄弟の順序を思わせる漢字*2をつけたりすることがあります。それから、日本とは全く違って、父親から一字をもらうというようなことはないようです。

*1 例: 諸葛亮の場合は、諱である”亮”も明るいという意味がある(漢和辞典を引いてみよう!)。”孔明”も”非常に明るい”という意味になります。

*2 例: 馬家の五常はこのやり方でつけていたらしい・・・長男は伯常、次男が仲常、三男が叔常、四男が季常(白眉といわれた馬良←「白眉最も良し」の白眉の人です)、五男が幼常(泣いて馬謖を斬る、といわれたあの馬謖です)

ちなみに広田が大好き孫呉で紹介すると、孫策は長男で「伯符」、孫権が次男で「仲謀」と「伯」が長男、「仲」が次男と順番につけられていくことが多かったみたいです。
孫呉の大都督:陸遜も「伯言」と実際に「伯」はよく目にしますね。
蜀の姜維は「伯約」だった気がします。


曹操(孟徳)、馬超(孟起)などの「孟」にも最初、はじまりなどの意味があります。
曹操、馬超もそれぞれ長男です。

こういうことならいくらでも話せるのですが、歴史に余り関係ないということが残念です(苦笑)

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「ロジカルシンキング2008年2学期クラスのシラバスをアップデートしました。↓

http://www.lojim.jp/workshop.html



2008年09月04日

国民性


一時期涼しかったのに、なんだかまた蒸し暑くなってきましたね。
竹村です。

突然なのですが、竹村はよく外国に行くと韓国人と間違えられます。
例えば、飛行機の中で「コーヒーいかがですかー?」と日本語で
給仕をしながら歩いてくるスチュワーデスさんが竹村の前に来ると
いきなり韓国語になってしまったり、日本人の知り合いから「最初
韓国人だと思ってたから話しかけられなかったんだ」というカミングアウト
を受けたり、そういったことが過去限りないくらいありました。

日本人と韓国人の外見にどれくらいの差があるのかほとんど分からないのですが、
どうやら竹村は韓国人の外見をしているようです。韓国人の友人達も
口をそろえてそういうので間違いないと思います。

ちなみに竹村は韓国料理が大好物で、普通の韓国の方に負けないくらい
辛いものをぱくぱく食べることが出来ます。

でもそれならどうして自分は「韓国人」ではなく「日本人」なんだろう、
と考えるとやっぱり一番おおきいのは言葉ではないかと思います。
他の方から見た定義ではなくて、自分で自分を「日本人」と定義してしまう
一番大きな理由は、自分の意識の中核をなす言語が「日本語」であるから
なのだろうと。

日本語の一番大きな特徴は、擬音語や擬態語の豊富さであると思います。
例えば「つるつる」とか、「ふわふわ」とか、「さらさら」とか。

韓国語は未だきちんと勉強したことがないので分かりませんが、
少なくともヨーロッパ圏の言語に
「ふわふわと漂う雲を割り箸にさして、はむっとかぶりついて
みたらきっとおいしいだろうなあ」
といった文の語感を損なわずに訳すことって難しいと思います。

ナショナリズムが高揚するような時代には、その民族がいかに特別
であるかということに仰々しい理由付けがなされることが多いけれど、
国民性というものは意外とそういったさりげない部分にやどって
いるものなのではないでしょうか。

少し思いつくままに筆に任せて書いてみました。
最近は、せっかくだからいつか韓国語も勉強してやろうともくろんでいます。



2008年09月03日

知識と応用力

全国学力テストの結果によると、最近の小学生は知識はあるが応用力がないらしい。
あたりまえだ。知識レベルと応用力レベルが同じであるはずがない。まずは知識を覚え、その覚えた知識を元に運用力が養われるのだから。

この知識と応用力について算数に絞って少しお話を。
「算数の力」は大きく2つに分けられるだろう。
1つはアルゴリズムを知っているかどうか。アルゴリズムとは、「こうすれば、・・・が算出できる」というルールのこと。証明の要らない公理(一周は360度など)だけでなく、証明なしで運用しても差し支えのない公式などを「覚える」力が求められる部分。先人達が非常にシンプルな形に落とし込んでいるので、我々は結論だけ覚えておけば最低限の問題には対応できる。
もう1つは、ごく一般的な事象の中にアルゴリズムを見つけ出す力。1+1=2というのはアルゴリズムとして「覚える」範疇にあるが、「アメ1つとりんご1つで合わせていくつ?」などという極めて一般的な問題を解くには、使用するアルゴリズムを覚えるのとは次元の違う「抽象化の能力」が求められる。

どちらが大切なのかという話はあまり意味がないのでここではせず、最近頻繁に寄せられる質問と関連付けて考えてみる。

「算数の勉強は・・・年生まで終わっているのだが、その学年に入れてもらうことは可能ですか?」

ロジムだけでなく、多くの塾で受ける質問だ。
実は、この「・・・年の勉強が終わっている」という意識は、非常に危険なものである。
この「・・・年の勉強」とは、その学年のテキストに書いてあるアルゴリズムを知っているに過ぎないことがほとんどである。面積の求め方を知っている1年生や因数分解の仕方を知っている1年生もいるが、これは「覚える」力があることを証明するものであって、総合的な算数の力、とくに2番目のアルゴリズムを発見するという所謂応用力があることを証明するものではない。
しかし覚える力を発揮し、一般的に学年ごとに設計されているカリキュラムで実際の学年を飛び越えていると本人も保護者も「算数が出来る」という意識が高まっている。特に低学年時は、1ヶ月も集中して取り組めば1年分の先取りは可能で、低学年時の1年分は大きな差に見えるのでなおさらである。実際、割り算を知っている子と知らない子を同じ教室に入れて、割り算の問題を解かせれば前者は天才児に見えるだろう。3年生の勉強をしている2年生の多くは、世の中の2年生の勉強をしている2年生全員より「頭が良い」と勘違いしやすい。
この高揚感は、後に大きな負担を親子に強いる場合がある。

5年生以上になってくると、算数の勉強から「アルゴリズムの習得」という部分が少なくなってくる。すでに知っている事実を、速さや容積など一般的な事象に応用する問題が主体になってくる。上記でいう2番目の能力が問われるようになるのだが、このことは子供にとって非常に酷なことである。
まず、個人個人で非常に大きな差がある。この差を埋めるのには非常に時間がかかるし、小学生の確保できる勉強時間では埋まらないことも多い。割り算を知らない子供が知っている子供に追いつくには1日で足りるが、「0、3、8、15、24・・・」という数列を見て規則に気付けない子供が気付けるようになるには相当に時間がかかる。

さらに注意すべきは、1番目の力は2番目の力を保証していないという点である。覚える力を発揮して、トップを走っていたレースとは、違う能力で突然順位付けがなされるのである。
それで抜かれてしまったのであれば、そこからがんばればよいという考えもある。しかし、実際に抜かれていく現実に対して、幼い子供も保護者も精神的に耐えられない場合がほとんどである。
「前は算数が出来たのに」「低学年から一生懸命頑張ったのに」
様々な思いが、親子を追い詰める。

私は、小学生特に低学年が勉強に関して「競争」の意識を持つのは非常に危険だと考える。「競争」をうまく活用できたときの効用よりも、悪く作用したときの損失のほうが数倍も大きいからである。子供が好奇心から希望する先取り学習は奨励されるべきものだが、保護者は、子供に先取り=追い抜きではないことを強く意識しなくてはいけない。(ただ、最近は保護者が、先取り=追い抜きだと勘違いしていて、子供に大きなプレッシャーを与えていることも多い。)

そして低学年時でも、さらには受験が目前に迫っても、「自ら試行錯誤して考える」という発見的学習にじっくり取り組むことで2番目の能力を鍛えることが大切である。アルゴリズムの先取りよりも、何倍も忍耐力が必要で時間もかかるし、目に見える効果は得にくいがそれしかないのである。

算数はスポーツに近いとよく言われる。サッカーにたとえてみると、1番目の力は「ルール」「パス・ドリブルなどの基本動作」「基本戦術」を覚える力。2番目は「実際の試合の場面場面を打開する力」である。
ルールを覚えるのがはやかった選手が良い選手かというとまったく違う。1番目の力がそれなりの時期でも、やはり試合をして2番目の力を同時に養うことは重要なのである。