2009年04月30日

整理

 こんばんは。日中は暑いくらいなのに夜はまだちょっと肌寒いこの季節、みなさんせっかくのGW前に、風邪などひかないようご注意ください。私めは気温とエネルギーが正比例するので、これからますます、盛り上がっていこうというところです。

 さて、先日中川が頭の整理、部屋の整理なんていうことを書いていましたが、私もやっと先日冬物の整理をしました。そのときもっとも切なかったのはダウンジャケットとついにお別れしたことでございました。

 冬の苦手な私を3年間も支えてくれた、最近のMVPアイテムでした。入試応援の日はふきすさぶ寒風からわが身を守り、冷たい雨のふる日は雨からわが身を守り(知っている人も多いと思いますが、私かさをさすのが嫌いです。ロジムにきてもう一人同じことを言っている人間にあいましておどろきました)、いざというときには毛布の代わりもしてくれた、頼りになる相棒でした。

 また、冬というと、ちょうど入試の時期なので、私の喜怒哀楽のすべてをともにした思い出深い品でした。使い慣れたものには魂が宿るといいますが、本当にそんな気がしました。
唯一、そのジャケットの失敗は目立たないこと。そしてそのせいでおこった事件はいまでも悔やんでも悔やみきれない事件となってしまいました。
 そんな思い出ともあいまって、何だかとても切なくなったのでした。

 ひとつの長年慣れ親しんだものとの別れは、私の場合、ひとつの区切りとなっています。というわけで、今年からは、去年までとは少し違った冬が来ることを予感しています。まだまだ先の話ですが、今年からはどんな冬が来るのだろうと、なぜか春たけなわなこの時期に思う今日この頃です。

 まったくもって個人的な話をしてしまいました。どうぞご容赦を。     む



2009年04月29日

目的

ロジムでは課題については、皆さんに机に向かう習慣をつけてもらいたいとか、言われたことをきちんとやる人間になってもらいたいとかいう目的で出しているのではありません。
学んでいる内容について考え、理解を深め、定着させることが目的です。
「漢字は何回ぐらい書けはいいの?」
「間違えた問題は何回ぐらい繰り返せばいいの?」
出来るようになるまでです。
各教科で、「提出の必要なし」という宿題が出ますね。その主旨はやることではありません。出来るようになって来てくださいということです。
「添削を出したからえらい。」「宿題をやったからえらい。」などという感覚は、学力を高めるという本来の目的を見失わせます。同じ宿題でも取り組む意識で効果は大きく違います。「先週の宿題やったの?」から「先週の内容は理解できたの?」というお声がけをお願いします。



2009年04月28日

わかるとできる

こんにちは。竹村です。

『わかることとできることは違う。わからせることはぼくの仕事で、
わかるようにやっているんだからわかるのは当たり前。そこから
先できるようになるために君たちが勉強しなければならないんだ。』

と、大昔に当時通っていた塾の先生に言われたことがあります。今と
なっては名前も思い出せないのですが、その話だけはいまだに
記憶に残っています。

今になって振り返ってみてもなかなか的を射た名言だと思います。
「できる」は「わかる」より先にあって、本当に大事なのは「できる」ように
訓練をつむこと。そこにきちんと手間をかけること。


ただ、時間がたつにつれて、その逆もまた真実かもしれないと思うようになりました。
つまり、「できる」と「わかる」は違う。「できる」からといって「わかる」とは
限らない、ということ。
自分が何をできているか、できていないのか「わかる」ということは、
問題点を発見して自分で改善していく作業ができるということ。
勉強でもスポーツでもなんでも、あるレベル以上にいける人とそうでない人の壁の
ひとつにこれがあるような気がします。そういう意味では、「わかる」は
「できる」の先にあるのかもしれません。

利発な子どもたちは解説を聞いてすぐ「わかって」しまったり、
逆に問題が「できて」しまったりするもので、それで満足してしまいがちです。

そういう時はなるべく「じゃあできる?」「どうしてこうなったの?」と
問いかけるようにしています。



2009年04月27日

4月27日

(1)50回位読んでも理解できなかった数学の説明が理解出来た。
(2)高校生の模試の結果が良かった。
(3)中学生と勉強のことでうまく会話出来た。興味を持ってきたようだ。
(4)小学生が「このタイプの問題って苦手なんだよな・・・。」とぶつぶつ話しながら取り組んでいた。問題の種別を判別出来、自分の得手不得手もつかめるようになってきたら、伸びる一歩手前だ。

よい1日だった。



2009年04月26日

爺のひとりごと042

爺じゃ。

「好きこそものの上手なれ」

最近、爺が実感していることじゃ。
実は爺、いろいろなものをデザインすることが嫌いじゃないんじゃ。
(好き、といえないのは本格的にデザインをしたことがないからかもしれん)
そんな爺は、とある理由で、公教育の場で使われるテキストの表紙や、
進学塾のテキストの表紙をデザインしたりしたことがある。
当時、wordのさまざまな機能を駆使してモノクロでデザインしていたんじゃが、
最近画像描写ソフトの「イラストレータ」なるものをいじる機会があってのぅ。
これが、いじってみると便利できれいで楽しくて。
しかし、最初は何がなんだかわからなくてのぅ。
色をつけたはずが色が変わらない。
ある図形を選択したはずが全体が変わってしまう。
ペンと鉛筆とブラシの違いがわからん…など。
ただ、いじればいじるほど仕組みがわかり、
だいぶデザインらしいものができるようになったぞい。

「おっ、こんなことができた!」
「こうして、こうすれば…、おぉ、完成!」
「ってことは、これとこれを組み合わせれば…、やっぱり!出来た!」

こんな感動を味わってるんじゃ。
好きなことって、自然とわかるまでやり続けるもんじゃな。
あらためて実感した爺じゃ。
そういえば昔、高校数学にはまったときも、中学入試理科にはまったときも、
解けること、知識を蓄えることが楽しかったもんじゃ。

目標のためにがんばるのも勉強じゃが、
やりたいことを夢中でやるのも大切な勉強じゃぞ。

おやすみじゃ。(爺)



2009年04月25日

そもそも受験塾ってなんでしょう。定義はさておき、、

こんばんは、野村です。
今日はお休みいただいてたけのこ掘りの予定だったんですが雨で中止。
ふらっと出勤してみたり、自室の掃除をしてみたり、お米をたいてみたり、
靴下を買ってみたり、人生のオペレーションに注力しました。

そういえば、この歳になって思い返すと、私のまわりのイベント事の日は雨が多いような。。。

と、話は変わって、

時々外部の方から「ロジムは受験塾ですか?」という質問を受けます。
FAQページに書いたりもしてるのですが、あくまで受験塾ではありません。

しかし、受験指導をしているじゃないかと言われれると、(特に6年次は)
補習、いのこり入り乱れて授業時間なんてあってないようなレベルで受験指導はします、というかしています。

できるだけシンプルに言えば、
「受験塾ではありません。ただ、生徒が目標を持っているのですから、それは全力でお手伝いしたいですね」
というスタンスです。ロジムで習った考える力を応用して、実際使って定着させてほしいですし。
そういう意味では受験勉強は大きな意味ありです。

いやはやわかりにくいかもしれませんね、、、、

別の言い方をすれば、受験塾と標榜することで生徒も講師も親御さんも、とにかく受験に受かることが目標になってしまう、というのを避けたいというのが大きいと思います。
「その先に通じる学力」を考えずにとりあえず受験に受かりたいのなら、いい塾たくさんありますよ。
なんなら紹介しましょう。

ここはロジムのこだわりでもあるので不明な点、気になる点はとことん質問していただければと。

この辺、ロジムに在籍している方は、様子がわかっていらっしゃるのか、
内部の方からは「受験塾ですか?」という質問は皆無です。

受験塾ではないけど、受験勉強してる教室。ご理解いただければと。
(むしろ中学受験の試験問題をちょっとずつ変えたいですね・・・。ロジム好みの問題に。)


あ、それと時々、
「うちの子、勉強好きじゃないみたいなんですが、見てくれますか?いや、おだてたりのせたりすればやる子なんですよ」という質問もいただきますが、よく苅野が使う例ですが、サッカー好きじゃない子はサッカー教室行かないですよね。それと一緒だと私も思います。


暑苦しい書き込みですみません。
東京三菱UFJ銀行のテレビCMにKANの「愛は勝つ」のイントロのピアノが使われていました。
ちょっと感動。KANは好きでした。「Tokyo life」とかいいですね。「ツルモク独身寮」にも詩が使われてましたね。



2009年04月24日

頭の大掃除

こんには。あたかかく過ごしやすい日が続いて思わず寝坊しそうな
日が続いている中川です。

最近、部屋の大掃除&軽い模様替えをしてみました。
不思議なもので、せまい部屋なのにびっくりするほどゴミが出るわ出るわ。
そのゴミの中には、何でこんなものとっておいたのだろうと思うようなもの
(ガリガリ君の当たり棒やら、Jリーグチップスのカードなど)も沢山ありました。
かなりの量を処分したので部屋もすっきり、どこに何がおいてあるのかもしっかり
把握できて気持ちいいです。

これって頭の中も同じで、たまには掃除(今ある知識掘り起こして整理)して
あげることって必要なのかななんて思ったりもしました。
一説には、人間の頭のメモリーは人それぞれ決まっていて、その容量を超えると
あまり使わない情報は忘れてしまうなんてことも聞いたことがあります。
(定かではない情報なので聞き流す程度にしておいてください。)

知識を整理して、すぐ引き出すためにはやっぱりよく使う事が大事だということですね。
なかなか復習の時間が取れない状況だと思いますが、ゴールデンウィークを使い
頭の掃除(子供達にとっては復習)を行ってみてはいかがでしょうか。

中川の戯言でした。



2009年04月23日

自転車の季節

桜もあらかたちり、本格的に暖かくなってきましたね。
こんにちは、竹村です。
葉桜とはどのくらいまでをさす言葉なのでしょうか?

暖かくなると自転車に乗りたくなります。基本的な行動範囲が
山手線の内側なので移動はJRより地下鉄に頼ることが多いのですが、
延々と暗くて変わり映えのない窓の景色と高い人口密度が
どうにも苦手です。ただ冬の間はさすがにそうも言ってられないので、
なくなく自転車をあきらめて地下鉄に頼っていました。

そんなわけで数ヶ月ぶりに眠らせておいた自転車をひきだしてきました。
しかし久々に見ると思った以上にガタがきている。。。
近所のオリンピックで買ったごくごく普通のママチャリなのですが、
かごは長年の酷使で金具から半分はずれているし、ブレーキはいまいちかかりが
よくないような気もするし、ところどころ金属がたわんだり塗装がはげたりしています。
ただギアや車輪には特に問題もなく、まだまだ快適に回ってくれます。

買い換えるかどうかひとしきり悩んだのですが、冷戦になって考えてみると
肝心の機能面は思ったほど痛んでいないし、とりあえず春の陽気が気持ちいい
ので、結局もうしばらく様子を見ることにしました。

自転車を使うと地下鉄より少し早めに家を出なければいけないのが難点ですが、特に朝方は
ラッシュアワーも避けられ、軽い運動でちょうどよく目も覚めてくるので
おすすめです。よかったら一度お試しください。



2009年04月22日

優先順位

小学生が一生懸命勉強している姿を見ていると、やはり大人として「報われて欲しい」という思いは強いものです。
私は、子供達に「自分で計画を立てる力」を身につけてもらいたいと思っています。
自分が一番良くわかっているであろう自分の能力を整理し、目標との距離を計算し、手段を考える。
膨大な教材に対して、膨大な時間を注ぎ込む価値はそこにあると信じています。
まだまだ未熟な子供なのだから、大人がお膳立てする中で「解く」ことに集中すれば良い。このような接し方は、高学年になってもはや天才ではないことが明らかになっている子供にとって、その後の人生でもっとも必要となるスキルを身につける機会を奪っているとしか思えません。
少子化にも拘らず定員が変わらない有名中学や有名大学に座席を確保することに必死になるあまりに、どんどん減っている社会での座席を獲得するための能力を磨き忘れているのではないか。新学期の大学を訪れた際に行われていた、新入学生向けのガイダンスのレベルの低さに唖然としながら思いました。



2009年04月21日

食事の準備中に

 こんばんは。きょうもいつもどおりぎりぎりの投稿です。みなさんもう新学年にはなれましたか。

 さて今日は「食事の準備中に」などと題うってみましたが、何のことはなく、その横でお子様に音読などさせてみるのはいかがでしょう?というお話です。

 最近私のクラスではところかまわず、音読の宿題を課していますが(さすがに6年生は時間のなさも気になって積極的にだせませんが)ご家庭ではお子様が音読しているのをきいたことがあるでしょうか。
 「ない」と即答されるようであれば、お子様は人知れずやっているという一縷の望みにかけるのもよし、夕食などの準備中にとなりで読ませるなどして機会を作ってみるのもよし、というところでしょうか。

 私が音読を奨める理由は4つ。

 ①生徒のあるお子様が本当にそれで読めるようになった、という実感のこもった言葉をきいたから。
 ②私自身が目や手を動かすより、しゃべって耳から得た情報のほうが記憶にのこっているから。
 ③ことばのニュアンス=その言葉の持つ情感であり、それを司る機能を持っているのは目ではなく  
  耳であるから。(目は認識を司るのみで感情は耳からのほうが伝わりやすい)
 ④実際教えていても、そのときの語気の強さや使っている言葉の音(エ段は鋭くとがった感じとか、
  サ行は何となくしんみり・冷たい感じ)というのが解答を導く際のひとつの材料になる場合が意外
  に多いから。

 です。やはり言葉というものは音に出さないと、そのニュアンスや言い回し(「つまり」で始まる文の文末には「~のだ」がくることが多いなど)に気づかないでとおりすぎてしまう場合が多いように感じられます。
 また言葉というものは相手に物事を伝えるためにあるのですから、それはやはり「書く」よりも「話す」に重点がある、というよりも「書く」行為そのものがそれを読んでくださる相手を見据えた対話ですよね。
これを書いている今だって、頭の中で相手を想定しつつ、いろんな言い方でその伝わり具合を試行錯誤しながら書いています。

 頭の中にあるものはもちろん、文字ではなく音です。とすると、もしお子様がそういうことをしないで読んだり、書いたりしていたら…ちょっとぞっとしました。

 というわけで6年生にも音読の宿題を出すことに今、決めました。「えー、僕は私は間に合っているよ、これ以上どこをひねっても時間なんて余っていないよ」という人は気軽に申し出てください。
                                                        む