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2008年12月 アーカイブ

2008年12月08日

【連絡事項】今週は休講週です

今週 12/8 ~ 12/14 は休講習のため、
土日に授業がある講座は(一部講座除いて)お休みとなります。ご注意下さい。

平日の授業でも同名講座が土日にある場合は休講となります。

3年生はゲームの日

先週の3年生算数はゲームの日でした。さまざまなゲームに取り組みました。教室ではルールを教えて、何度か対戦をしただけです。いずれも算数の世界では有名なもの。必勝法つまりゲームのアルゴリズムを考えることが宿題です。
選択肢の可能性を精査し、ルール(条件)の意味を考える。算数の中でも最も面白く、頭を使える分野です。ご家庭でも対戦しながら必勝法を検討してみてください。
必勝法はありませんがヒットアンドホームランゲームは、時間制限まで加えると大人でもかなりの難易度になります。
こういった授業になると生徒の性格というか興味の方向性がよくあらわれて面白いです。
すぐに本質の探求を始める生徒。とにかく勝ち負けにこだわる生徒。3年生にしてはめずらしい試行錯誤しなくてはいけないという状況に戸惑う生徒。生まれながらなのか、何かそうさせる環境があったのか。いずれにせよ、問題に対する姿勢の取り方は到達点を左右する大きな要素です。

2008年12月07日

爺のひとりごと025

爺じゃ。

さて、先週「金星と木星と三日月」の話をしたが、
実際に夕方見てみた者はおるじゃろうか。
明るく光る金星と木星が「目」、三日月が微笑んだ「口」のように見え、
「スマイルムーン」などと題されてニュースでも紹介されていたようじゃ。

さて、ちょっとスマイルではない話をひとつ。
消しゴムの使い方、気にしたことはあるじゃろうか?
授業の中で、誤答を正すときに消しゴムが出動するわけじゃが、
この使い方がザツでザツで(特に低学年)。
あえて厳しい言葉を使えば、まさに「ヘタクソ」じゃな。
一生懸命ゴシゴシと消してはいる(気になっているだけ?)が、
実は大して消えておらず、紙はグシャグシャ。
しまいにはビリッと音がしたあとに、思わず「あっ!」…。
まったく、嘆かわしいことじゃ。

さまざまな問題に取り組むとき、間違えることは決して悪いことではない。
考えて試して間違えて直して、また考えて試して間違えて直して…、
これはむしろとても大事なことじゃ。
それを考えれば、消しゴムが「きちんと」使えるようになることは、
正解にたどり着くために必要なアイテムかもしれん。

で、「きちんと」使うための爺からのアドバイスとしては、

①線の向きに対してどの方向に消しゴムを動かすか
②どれくらいの強さでこするか
③実際に消すのは消しゴムを押すときか引くときか

「できるかぎり少ない回数でこすり、きれいに消せて、紙も傷つけない」。
これぞ、消しゴムマスターの証じゃ。
ぜひ、目指してみてはいかがかな。

おやすみじゃ。(爺)


2008年12月06日

自由を不自由に感じるということ

野村です。

寒くなりましたね。ほんとに応えます。。。。


さて、先日もブログに書いたのですが、
やはり最近気になるのが、生徒の「自由を不自由と感じる性質」です。

「先生、シャープペンつかっていいですか?」は、まあ学校やご家庭で禁止されているのかなと想像できますが、なにかにつけて、「先生、消してなおしていいの?」「先生、余白つかっていいの?」
「例えは自分の身の回りのことでいいの?」「はみだしていいの?」「自分の言葉で説明していいの?」云々、

正直、それを自分で判断しなかったら何を判断するの?というような質問も多く驚くことが多いです。
(もちろんそんなことない生徒も多数います)

『5つのラーメン屋さんのメニューの数を調べた結果を表すグラフの縦軸、横軸を書きなさい。』
(ロジカルシンキング低学年、中学年で使用した問題です)
という問題でも、
ラーメン屋さんの名前を自分で想定していいかどうかに戸惑い、手がとまってしまう生徒が散見されました。

自由度の高い指定があればあるほど、不自由に感じてしまう。
創造的な作業を担い、これから先、学問や社会で活躍すべき小学生の多くが、こういった状況にいるのは、やはり歓迎できない状況です。

ロジムももっともっと授業を工夫しますが、ご家庭(や学校でも)自由に作業する時間をもっと多く、そして大事にしてみてほしいと思います。

自由環境の中で活躍するには、自由に慣れていなくてはいけないのかな、
そんなことを考えました。


2008年12月05日

(・ω・)ショボーン

こんばんは、広田です。
今日は夕方に突然、雨が降りましたね。
みなさんも調度、下校途中だったのではないでしょうか?
濡れてしまった方はしょんぼりしちゃいますね。
広田家の洗濯物も出しっぱなしなので当然濡れていることでし
ょう。しょんぼりです。

さて、今回は何を話しましょうかね。
そうだ、常々言おうと思っていたことがありましたので、この
場をお借りして皆さんにお願いしたいことがあります。

「ゴミはゴミ箱に捨てましょう」

ロジムを掃除する者として、これは是非ご協力願いたいです。
特に門仲の教室でお菓子の包装や食べかすが落ちているのが目
立ちます。
机の引き出しの中に入っていたりします。
そのようなものを見つける度に広田の顔は(・ω・)こんな顔
になってしまいます。
先ほども2つほど発見して、しょんぼりしてます。
もはや、しょんぼりを通り越して、スーパーしょんぼりです。

休み時間にお菓子を食べるのはロジムでも禁止されていないよ
うですが、食べるならマナーを守ってもらいたいです。
ゴミはゴミ箱に捨てる。当たり前のことだと思います。そして
ロジムにも所々にゴミ箱は設置してあります。
もしかしたらゴミ箱がどこにあるのか、わからない人もいるか
もしれません。
駒場の方は受付とトイレ前にしかないので知らない人も多いか
もしれません。
それでも、捨ててくださーい、と持ってきてくれる人もいます
。その意識が大切だと思います。
現状すべての教室にゴミ箱を設置していないということもある
ので、食べたあとゴミを持っているのが嫌だなぁとなってつい
つい捨ててしまうのでしょうか。
それならば全ての教室にゴミ箱を設置します。ゴミ箱を置いて
ほしいと言ってください。

ですので、これを見た人は、ゴミはゴミ箱に捨てるように心が
けてください。
また、教室にゴミを残していく人を見かけたら注意をしてあげ
てください。

もし、広田が見てる時にお菓子のゴミを捨てるようなことがあ
ったら(`・ω・´)こんな顔になっちゃうかも知れません。

皆さんよろしくおねがいします。

それでは。

2008年12月04日

「発想力」は才能?

最近殊に、と言うわけでもないのですが人と話していると時々「発想力」という
言葉を耳にします。定義はあいまいなのですが、どうも(多少意外性があってかつ興味深い、あるいは
説得力のある)アイディアを出す力、という意味のようです。
使われている文脈から判断するに、おそらくアレルギーや身長等といっしょでかなり
先天的な才能と捉えられているようです。

しかし、実感的には少なくとも小学生のレベルにおいてはこれはむしろかなり後天的に身についてくる要素
な気がします。具体的に言ってしまうと小学生レベルでの「発想力」はほぼ確実に「知識量」あるいは
「語彙の豊富さ」に比例していると思います。

例えば、「卵を産まない動物ってどんなのが思いつく?」と聞いて「クジラ!」と答えられる子どもは、
何も先天的に思いつく力が優れているわけではなくて、
もともと「卵を産まない動物→哺乳類」「クジラは哺乳類である」という知識を持っているわけです。

「発想」といわれるものの99%まではおそらく「連想」です。「知識」というのは思いをめぐらせる
ための回路ですので、知識が多ければ多いほど連想でたどっていけるルートが多くなります。

「○○って聞いて何を思いつく?」と聞かれて「何も思いつかない。。。。。。」と止まってしまう子は
そこから連想していくルートがない、あるいは持っていても記憶のかなたにあってとっさに出てくるほどには身近
でない、というだけだと思います。

あともうひとつ、いわゆる発想力を左右する要素があるとしたら、それは「ずうずうしさ」「思慮の浅さ」かもしれません。
何かを思いついたときに「でもこれは妥当な答えではないかもしれない」と考えないこと。
作文を教えていて何もアイディアが出てこない、という子に
「○○なことって全然、一個も思いつかないの?」と聞いてみると「△△って考えたんだけどかくかくしかじかで
だめそうだし、□□はうんたらかんたらで上手くいきそうにないし」、と頭の中でいちいち考えにだめだしをしてしまっていることが良くあります。
そういう時は「だめかどうかは後で考えればいいから、とりあえず思いついたら書いちゃいな」とアドバイスします。
アイディアを出すときは、余計なことは考えずにひたすら無責任に出してしまうことがコツなのですが、
そういったものは技術と態度の問題なのでちょっと訓練すれば身につきます。
世の中にはどうしても先天的な要素、いわゆる「才能」によって左右されてしまうこともあると思います。
しかし、遺伝子によって左右されるとはっきり証明されてもいないことを、自分から「才能」という言葉
であきらめてしまうのはとても非合理だしもったいないことだと思います。

2008年12月03日

背伸びをして

興味深いテーマを見つける。それを理解するためには、多くの知識を必要とする。だからそれらの知識を勉強する。
というサイクルに入るととたんに今までつまらなそうに見えた勉強が魅力的なものに見えてきたりします。
前提知識がなくても問われていることは理解できるという問題はそんなに多くはありませんが、あるにはあるので、さらっとでも話をしてあげるようにしています。

というわけで有名な公式を1つ。「ヘロンの公式」を使うと三角形の面積が3辺の長さのみをつかって求めることができます。なんだって!?どんな公式!?なぜ!?と思ったら自分で調べて、勉強してみてください。


2008年12月02日

引き続き

 こんばんは。もう師走、月日のたつのは早いものです。

 さて今回も学年の変わり目で、少々気になることを。それは「漢字」への意識です。

 最近、漢字テストの結果が二極化しています。上位層は非常に良くできている一方で、まったく練習している気配のない人もいます。これは由々しき事態を引き起こしかねません。

①学習習慣として:漢字は日々の学習習慣の有無で、その成果が大きく左右されます。漢字の学習習 慣がないことは、将来の日々の演習(計算・国理社の知識など)をきちんとできるかどうかを基礎付け ます。何でも基礎の反復が重要です。それなしには真の力は育ちません。漢字等がきちんとこなせな いと、この点が非常に危ぶまれます。

②入試では:あまり騒ぎたくないですが、入試で漢字は取れて当たり前です。取れなかった人は無条件 で差をつけられます。しかも少なくとも、国語と社会の両方で相当点数を失う結果になります。


 勿論、漢字等のこまごました勉強だけが勉強ではありませんし、それ以外のことを重視して勉強するのを否定するものではありません。むしろただ単に暗記するような勉強よりは、深く考える勉強を楽しんでほしいと思います。
 しかし一方で、学校でもやっているであろう漢字までまったく書けないようでは、その他の勉強をやっている場合ではないのではないかとも思います(この点最低限度の言語習得はすべての勉強に必須だと、私は思います)。
 少なくとも、毎週やるといわれているテストに対して、一定以上の力を注げないのであれば、「競争」には不向きということでしょう。それは個人的にはとても平和でいいと思いますが、特にだらだらと惰性でやっている人へ。どうせやるなら、適当にやらずに、真剣にやったほうが楽しいのではないかな、と思う今日この頃です。
                                     む

2008年12月01日

ヨーロッパの街並を見ながら思い出す

世界ふれあい街歩き ザルツブルグ を見ながら。
私の初めての海外は、旅行ではなくいきなり留学でした。朝5時過ぎのまだ真っ暗のパリに到着したときの興奮は相当なものでした。ヨーロッパの街並が珍しく2日間一睡もせず街を歩きまくったのをはっきりと覚えています。
万全のトレーニングを積んだはずが、授業が全く聞き取れなかったこと。学校の授業で日本のことについて訪ねられまくり困ったこと。ドラゴンボールが流行っていたので、私のあだ名が「ゴクウ」だったことなどは良い思い出。
印象に残っているのは、朝パジャマのまま家の近くのパン屋に出かけたりすると、フランス人に道を聞かれることが少なくなかったということ。見た目が地元人っぽくても、日本人が外国人に道を訪ねるなんて絶対にないですよね。社会の違い、意識の違いを非常に強く感じました。

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