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ひとりごと・雑談 アーカイブ

2008年07月15日

夏は熱い

 こんばんは。いよいよ夏本番という暑さになってきました。夏休みと夏期講習が同時に近づいてきましたね。

 突然ですが、ぼくは夏が大好きです。それこそうん十年前はスキー大好き少年で、「夏より冬だ!」などといっていましたが、中学入学以来、ずっと「夏派」です。

 中学のときは部活に明け暮れておりました。合宿でしごかれ、へとへとになりながら、何でこんな目にあうのか、と思いながら、それでももくもくと筋トレをやり続けた中1の夏でした。
 高1のときはイギリスで過ごしました。単身のりこんではみたものの、不安だらけだったのをよく覚えています。ヒースローの空港を降りて、何とか税関を通ったあと、ふと目にしたヨーロッパらしいレンガ造りの町並みが目に焼きついております。幸いよい友人に恵まれ、毎日芝生の上で豪華にサッカーをしたり、パーティーで踊ったり、と楽しい毎日でした。
 大学時代はひたすら海に行き続けておりました。裸で太陽を目いっぱい浴びて、まるで南の国の人のようになっていましたね。手のひらと手の甲の色がまったく違うんですよ。当時、ポナペというミクロネシアの島でパスポートをなくしてしまい、臨時で撮った写真がひどい!タンクトップで顔はすすけてて、真っ黒で…。日本の入国審査で苦笑いされました。
 
 と、こんな具合に夏は印象深い思い出が多いのです。きっと夏の太陽からエネルギーをもらっているんでしょうね。じりじり来る日差しに照り映える青葉やひまわりを見ていると今年もとうとう夏が来たな、と感じる今日この頃です。

 そしてここ最近の僕の夏の代名詞は、もちろん「夏期講習」です。他のどの講習よりもハードでホットな講習です。これもきっと夏のなせる業でしょう。僕が一番好きな時間のひとつです。子供たちの熱気に後押しされるのか、はたまた、自分が勝手に盛り上がるのか、おそらくその両方だと思いますが、今年も元気にやっていけそうな予感です。みなさんも大いに盛り上がってやってくださいね。

 夏のキーワードは「本気」だと思います。夏の暑さを熱にかえるためのキーワードです。遊びにいくのも大いに結構。山で、海で、川で、太陽を浴びて、熱い思い出を作ってくださいね。そして勉強のほうも「本気」!ぐだぐだやっていたら自分に負けます。だるくなります。つらいこともあるでしょう。なきたいときもあるでしょう。そういうときこそ、お日様に力をもらってがんばってください。

    でっかい友だち       くどう なおこ
 

  「―困ったときの日の光」
  これが 屈託した日のオマジナイです

  あの日も
  栗のイガみたいに とんがって とぼとぼ歩いていた
  すると だれかがわたしを ゆさぶるのです
  みあげると夕日でした。
  一日のカーテンをしめるのが もったいないのかな
  西の地平に腰をおろして一服し
  光の指で わたしのおでこを つんつんしている

  はるか遠くの菜の花畑は ままごとのゴザみたいだった
  蟻も ちょうちょも てんとう虫も わたしも
  世界中が 夕焼けに染まり まるごと赤くなっていた


  ……地球がごうごうと走ってるなんて 信じられない
  風景がまるで「永遠でございます」というぐあいに
  空に ぴたっと はりついている

  くちをあけ 光を浴び わたしは ハッタと気がついた
    あ そうだった だれがいなくても
    お日さまが いるじゃん

  というわけで わたしは背中をのばし
  しゃんしゃん歩きはじめたのでした


では、皆さんの夏がいい夏になりますように。    む


2008年07月14日

下手糞の 上級者への 道のりは 己の下手さを 知りて一歩目

とはかの安西先生のお言葉。本当に大切なことだと思うのですが、人間は基本的に「己の下手さ」から目をそむけがち。目標との自分との距離を正確に把握すること。こういう単純なことが出来る人間と出来ない人間とではいつのまにか差がつくものです。

同じ授業を受けてとなりの人より点が低いなら、その人よりも能力がないのです。今日からその人の5倍の時間勉強しなさい。あなたの能力の低さの他に理由を探している暇などなく、その低さを補うのは量という名の努力しかない。

初めての数学のテストの返却の時に先生にいわれた言葉です。
子供たちが小・中・高の勉強を通して学ぶのは各科目の知識以上に、「自分の能力の範囲」だと思います。やりたいことが出来ない。覚えたいの覚えられない。がんばったのに追い抜かれる。
しかたのない現実です。しかし、この現実と出会えたことを前向きにとらえて、自分の能力と向き合い、必要な努力を見積もり、受け入れる。これは、社会に出て最も大切な姿勢ではないでしょうか。自分の能力や素質といったものから目を背ける。なにかと外部に要因を求める。そもそも目標に見合った努力の必要量の見積もりが正確に出来ない。進歩のない子供にだけでなく、進歩のない大人にも顕著に見られる精神性です。そして、塾で指導していて感じるのは、そのような姿勢はきちんと矯正しないとなおらないということ。出来ないことをごまかしたりする姿勢は、むしろ大人になるにつれ強くなるものですから。

君たちは自分が天才であるとか、なにかのきっかけで目覚める偉大なる素質を秘めているとか心配しなくていい。ほぼ確実に凡人だ。そして凡人の悩みは、ほとんどが努力のみで解決する。悩んだら、気を失うまで努力しなさい。天賦の才がもしあったとしても、努力によって削られることは絶対にない。

学んだ内容のほとんどが忘却の彼方にある現在でも、強烈に私の記憶に残っている、有名な教授が述べた授業初日の訓辞です。


2008年07月13日

爺のひとりごと007

爺じゃ。

最近、勉強嫌いの中学生を持つ親たちと、しみじみ話す機会が多くてのぅ。
たいていが、「ウチの子全然勉強しなくてぇ…」から話が始まるのじゃが。
この場合、確実に爺が親に注意を与えて話が終わるんじゃ。

というのは、そもそも親が見ている間ひたすら勉強している子供なんて、
この世の中に存在するんじゃろうか。
多くの親が、自分が目にしたときに子供がとっていた行動が
その日の子供の一日の行動であると、大きな勘違いをしておる。
たとえば、仕事から帰ってきてテレビの前で大笑いをしている子供を見ると、
この子は1日中テレビばっかみて!となり、
たまたま子供の部屋を覗いてみたときに机に向かっていれば、
この子はしっかり勉強していて偉い!となる。
つまり、親の心理としては子供にたくさん勉強してほしいわけじゃから、
目にする子供の姿は常に勉強をしていなければならない、
いや、そうあってほしいのに…というところなのじゃろう。
(明日までに漢字1冊分全部覚えて来い、のような)
しかしのぅ、そんな明らかな無理難題を押し付けられた子供はどうじゃろう?
ストレスばかりが溜まってしまわないかのぅ。

やるべきことをきちんとやったのか、
できていたときに、それを認めて素直に褒めてあげられているか、
ぜひ考えて欲しいところじゃのぅ。
おそらく、勉強しろ!というよりは数倍効果があると思うんじゃな。
本来、子供は自ら成長していくもんじゃから。(爺)



2008年07月12日

小学生の自分に会える(?)本

こんばんは。暑いですね。
季節を感じるのは、視覚や温度を感じる触感なんでしょうが、
雨あがりの匂いはまさに夏到来を教えてくれます。そんな1日でした。

野村も久々に本棚を見ていたら、
ずいぶん前(大学生のとき?)に買った文庫本がでてきました。

「そこに僕はいた」辻仁成
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まあ紹介はいらないほど有名人な筆者の、小学・中学生時代に感じたことがエッセイ調で書かれているのですが、以前に読んだときとはまた違った感想をもてて面白かったです。
(読みやすいので1時間くらいで一気に読めます。)
(聞くところによると中学入試頻出らしいですね。まあ心情表現豊富ですし、設定が小学生ですし、そうでしょうね、と思います。)


そういえば自分も小学生の時ってそんなことを考えていたなー、わかるなーと思わせてくれるところが筆者のまたうまいところなんでしょう。ただ、今の東京の小学生の生活は、この本のそれとはずいぶん違うものなんじゃないかなあとちょっとさびしく思います。

(正直野村の小学生時代は、今の東京の小学生のものより、この本のもののほうが近かったと思います。)


中学入試にも出ますので、是非ロジム生の皆さんも読んでくださいね、

なんてことは少しも思いませんでした。

これはやっぱり大人が読むものですねー。
大人が当時の、切なさと楽しさの混沌を思い出して、そして現在の自分と過去の自分が胸の中で会話する。そんな読み方がやっぱり楽しい本ですね。

中学入試に出るからなんて理由で読むにはもったいないです。

是非ロジム保護者の皆様に(もう一度)読み直してもらいたいです。
「猫も杓子も中学受験」の潮流の中で、お子様と一緒に中学受験に参加することの意味をもう一度考えるいい機会になる一冊ではないでしょうか。


野村が親だったら、「自分の子供にさせていることはほんとに正しいことなのか」と真剣に迷うと思います。
そんな迷いも大事だったりすると思います。


2008年07月11日

三国志の広田

前回、予告で「馬超」を紹介すると言ったのですが、調べていくうちに自分が気に入ってたエピソードは演義の方で、それなら横山三国志を読んでくださいって話になるので、マイナー路線を走っていくコンセプトに反するのではと感じます。。。
しかし馬超に関しては演義の方がいいなぁと感じてしまう部分が多々ありました。

まぁ今回は演義中心でお話します。

いきなりですが結構、波乱万丈に生きているんですよ彼。
馬騰(ばとう、馬超の父)が曹操暗殺計画に加担していた為、後に謀略によって一族のほとんど(180~200人くらいだったかと記憶してます)を曹操に謀殺されてしまうんです。
涼州に留まっていたため難を逃れた馬超は、唯一生き残った従弟の馬岱(ばたい)と共に、復讐の為に兵を起こしたとなっています。

一番の見せ場?は「鐘関の戦い」で曹操をあと一歩のところまで追い詰める所や離間の計に陥り、次々と仲間が離れていき、それでも一族を殺された恨みの為に戦い続け、敗走が続き、そのときに劉備を頼って蜀に入るという流れなんですが。

この説明だと一族殺害が前後してしまっているので、正史と演義を混ぜた話になってしまうのですが、一応はっきり区別するために言っておきます。
正史だと、漢中に進軍しようとする曹操を撃つために挙兵し、演義では一族殺害の恨みで挙兵する、となっています。

そして広田がこの戦において一番気にかかったこととして、この時代の復讐に「大義」はないのです。
しかし、自分が勝てば「大義」になるのです。

なんとも矛盾していた時代ですね…
曹操も若い時に父親を殺された復讐で宦官(曹操の上司にあたる役職)を一人殺しているのですが、曹操には智が備わっていた、そして自分の軍もあった。役職もそこそこ(と言っても彼の年齢では当時にしたらいい役職についていました)いいという立ち位置でした。
そして復讐を終えた曹操は難なく、その後のいざこざも自分の不利にならないように整理していきました。
さすがに天下を取ろうと目論むだけあって、行動力にもすばらしいものがあったんですね。
そこから、またどんどんと加速しながら自軍の力を増幅させていきました。

ちょっと脱線してしまいましたので話を戻します。

それゆえに何度も曹操に挑み続ける馬超。
しかし、中々勝てない、曹操を討てない。
ただの反乱としか世間から見られない、馬超側に「大義」はない。
たとえ、自分が正しいと思っていても…周りは認めてはくれず、家臣たちが次々と馬超から離れていくという、なんとも悲しいお話なんです。
このくだりをゲームで体験した広田は、馬超の気持ちに共感をして好きになったという流れです。
復讐に囚われ、拘り、正しき道を見失いながらも乱世をもがき生きる姿は何とも言い難い人生でありますね。
逆に言えば自分の道を信じて突き進むしかなかった。
答えはわからないままに…


なんとも切ないお話になってしまいましたね。

路線を変えて豆知識コーナー。
馬超は「錦馬超(きんばちょう)」という通り名がありました。
これも演義のみのネタなんですが、戦う姿が錦のように美しい、と名づけられたようです。
あと、五虎大将軍に選ばれていたりします。

まぁ蜀に入ってからは病気にかかり、戦に出て武功をたてたという記録が残っていません。
入っただけで、何もしていない(笑)っていうオチもしっかりあって中々侮れない武将です。
実際かなり強かった武将だと思うんですけどね、なんか、本当の馬超好きの人からしたら怒られるような書き方になってしまいましたが、好きな武将の1人なのは間違いないです、はい。


2008年07月10日

眠いときの勉強には意味があるのか?

お久しぶりです。竹村です。
今日も前回同様ごそごそと本棚からひっぱてきた本から
アイデアを借用して書かせていただきたいと思います。

情報元は岩波新書で堀忠雄さんという方の書いた「快適睡眠のすすめ」と
いう本です。題名のかるさに比べると中身は結構まじめで学術的な内容が
書いてあるので、高学年でもちょっと飽きてしまうかもしれませんが、
興味のある人には面白いかも。

テーマは
「眠いときの勉強には意味があるのか?」

一日の中には眠くなりやすい時間帯とそうでない時間帯があります。
一般的な人なら午後2時ごろが一日の中でもっとも眠くなりやすい時間帯です。
3時のおやつ休憩とか、スペインのシェスタの習慣などもたぶんその誕生に
このリズムが一役買っているものと思われます。
これに備えてお昼のころに20分程度仮眠を取っておくと、午後の眠気を
かなり軽減することができます。
ちなみに、20分を超えてしまうともう一度目が覚めるのに時間がかかったり、
夜眠れなくなってしまうのであまり良くないとか。

そこで、テーマの眠いときの勉強に意味はあるのか?ですが、
実は計算などの作業において実際の作業効率は眠気の高いときでもそこまで
変わらないそうです。

ところが、眠気の強いグループの人(仮眠なし)と弱いグループの人(仮眠あり)
を比べてみると実際の成績の差以上に自己評価の差が現れます。

つまり、眠気の強い時に作業している人たちは、実際にはそこそこ出来ているときでも
「だめだ。。。。全然問題が解けない。もうだめだ。」っていう
ネガティブな気分になってしまうのですね。

勉強はやっぱり出来る実感がある方が楽しいし、せっかくならいい気分でやりたいですよね。

とは言うものの、そんなこと言ったって、平日に20分仮眠なんて取れるわけないじゃないか、学校なのに。
と思う方が多数だとおもうのですが(正直竹村もそう思います)、家できちんと夜早く
寝れば、少なくとも午前中の眠気についてはかなり予防できます。

高学年にもなると夜更かしの機会も増えてしまうかもしれませんが、睡眠時間は
大切にしてくださいね。

それでは皆さん良い夜を。


2008年07月09日

年々大変

ある大学の先生とお話しました。
中学受験問題は常に難易度が上がってきているのだが、それによって大学生の学力は上がったのかと。
先生曰く、下位が少し下がったかなという感じはするけれど、あまり変わらない気がするそうです。ただ、学力という点で重要な視点があるということ。
「ただ、学問も技術も最先端は一握りの天才達がすさまじいスピードでレベルを引き上げている。社会・そして世界に出て戦えるのかという視点で考えると、大学生の平均レベルは大きくかけ離れてしまっている。一部の本当に出来る人間以外は、社会に出た時点では全く戦力外なのが現状。大学院、社会人教育で追いつかせようとしているのが現実だが、初等教育ももっと充実させないと、世界で戦える人材は育てきれないんじゃないかな。」
実際に働いていらっしゃる方々は、新人から戦力になるまでにかかる時間が年々長くなっているという実感はあるのでしょう。そして、それを長い徒弟期間を受け入れることの出来る新人も企業も少ないのが現状です。
「20年前に東大に入るのにも、今東大に入るのにも必要な知識に大して差はないけれど、技術の世界では20年前の一部の天才によって開拓された最先端を、今の人間は戦力になる最低限として身につけていなくてはいけない。「戦力」として認められる難易度は相当上がっている。」
そういえば、昔は英検1級ぐらいで「英語が堪能」として認められたけれど、今はネイティブレベルでないと「英語できます」って言えないムードが・・・。レベルは違うけれど、同じような感じでしょうか。要求されるレベルはあがったけど、近道はないんだよな。大変だ。


2008年07月08日

考え中

こんばんは。

さて、たいていの時間をロジムですごしている私ですが、先日久々に「お勉強会」なるものに参加してまいりました。

「勉強会」とはいっても、友人たちと持ち回りで、各自の仕事関係のテーマで発表し、ディスカッションする場なのですが。これがまた、いろいろな業種の人が集まっていると毎回違うねたに触れられつつ、結構楽しく物事を考えられる場になっていて面白いんですよね。

 今回のテーマは税制についてでございました。最近の日本の債務残高やらガソリンの値段の高騰やらについて、国際的な比較をしつつ、国の対処の方法などなど、広く浅く知ることができ、個人的にはとても有意義な時間をすごせました。

 まあ、社会保障関係費なんかは中学入試でもかなり熱い分野ですので、それについての多少の知恵をつけて戻ってきた次第です。

 やはりグラフ等で見せられると、日本の最近の社会保障関係の生産年齢負担はかなり大きくなっているのだな、というのが実感です。社会保険料負担は実は消費税と所得税合わせたくらいの大きさがあります。普段少子高齢化と騒がれつつも、いまいち実感がわきづらかったのですが、それに真剣に向き合ってみると、大変な問題なんだなあと実感したわけです。
 加えて、老齢人口比率も他の国の追随の余地のないくらい日本が図抜けて高い!本当に近い将来の社会保障制度が心配になりました。

  ほかには、最近のガソリンや債務超過の問題も気になりましたね。ガソリンの高騰について、日常ではつい文句のひとつも出てきてしまうところですが、日本は他国に比べると、それでも税負担額が低く抑えられている(他の国民はもっとヒーヒー言っている状態)こと、さらに国債による日本の債務超過は、国民一人当たりの税負担額の小ささの裏返しであること、など文句ばかり言っていられないなぁなどと思ったり。

と、こんな話を延々として帰ってきたわけですが、人間は意識しないと自分の都合で物を考えがちになってしまうことを改めて感じるとともに、現場で動いている人間が感じるものは、他の立場の人間に対し、予想以上に大きな声となって届き、影響を与えるものだと思いました。

受験生にとっては(もちろん他の学年のお子様にとっても)非常に大切な夏です。それを迎える前に、もう一度自分なりにお子様の現状を見つめなおし、こっちの都合の押し付けになっていないか、自分のことばがどんなふうに届くのかを考え、いい夏だったといえる場を提供していきたいと思う今日この頃です。                                 む


2008年07月07日

小学生達の真剣勝負!

NYの小学校では情操教育の一環として社交ダンスが取り入れられているそうです。日本と違うなーと思うのが、地域予選から始まる一大コンテストとなっているところ。いくつかの小学校を追ったドキュメンタリーです。才能溢れる子供から苦手そうな子供まで、初めての「勝負」に挑む小さな姿を見ていると色々と考えさせられます。指導する先生達の姿勢もしかり。映画館で3回見ました。DVDで是非。保護者の方向け。
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ステップ!ステップ!ステップ!2006年公開作品


2008年07月06日

爺のひとりごと006

爺じゃ。

さぁ、明日は待ちに待った(?)七夕じゃ。
皆は、短冊に願い事を記したかのぅ?

さて、今日はこの七夕にちなんだ伝説を一つ。
皆、七夕伝説は知っておるじゃろうか?
そう、織姫星と彦星の伝説じゃ。

こと座の1等星ベガ(織姫星)は天帝の娘で、はた織りの上手な働き者の娘じゃった。
また、わし座の1等星アルタイル(彦星)も働き者であり、天帝は二人の結婚を認めたんじゃ。
めでたく夫婦となった2人じゃが、夫婦生活が楽しいせいか、
織姫ははたを織らなくなり、彦星は牛を追わなくなってしまったそうな。
これを知った天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離してしまったんじゃな
しかし、天帝もさすがにあわれに思い、年にたった1度だけ、7月7日に会うことを許したんじゃ。
ところが、その7月7日に雨が降ってしまえば、天の川の水かさが増し、
織姫は渡ることができず、彦星も彼女に会うことができないんじゃ。
そこで、そんな2人をさらに哀れんだ無数のカササギがどこからかやってきて、
天の川に自分の体で橋を架けてくれたんじゃな。
このことから、はくちょう座の1等星デネブが、七夕伝説のカササギにあてられらわけじゃ。
こと、わし、はくちょうのうち、水の中に入れるのは水鳥である白鳥だけじゃからな。
現に、空を眺めてみても、デネブだけが天の川の中にあるんじゃよ。
もちろん、川を隔ててベガとアルタイルが向き合っておる。

星にはたくさんの伝説があるんじゃ。
面白いのぅ。

おやすみじゃ。
皆の願いが叶うことを祈って…。(爺)