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ひとりごと・雑談 アーカイブ

2009年05月22日

人間の魅力

こんにちは、スタッフ広田です。

昨日は休日で、学生時代の友人と久しぶりに会いました。
その友人は広田より歳下なのですが、そのせいもあってか仲良き友人であると同時に可愛い後輩でもあるように感じています。

その友人に対して学生時代から思っていたことがあるのですが、彼は「笑顔」がとても素敵なのです。
話していて、その笑顔を見るだけでこちらは癒されているような気がします。
何故かはわからないのですが、不思議なことに癒されます。

笑顔で人を癒せるなんて一人間として、とても魅力的に感じます。
見習いたいですねぇ。

また最近、鏡を見て気づいたことがあります。
昔より目元が垂れた、と。
そして母親にそのことを言ったら、
「アンタも歳とったねぇ」と言われました。軽く凹みました(笑)
ちょっと前までは普通に釣り目だったのですが、いつの間にか…
いい機会なので、友人の笑顔を見習うのと顔の筋肉を引き締めるために、鏡に向かって笑顔の練習でもしようかと思う今日この頃です。

それでは、また。


2009年05月21日

ことばの力を育てるものは

 こんばんは。今日も夜遅くの投稿となしました。日に日に暖かくなり、いよいよ夏男の私のエンジンもあったまってきました。いつも以上にテンポのよい授業を展開していきたいと思っています。

 さて、本日もわかりやすいタイトルです。お子様の言葉の力=読解の思考の根本となる部分を鍛えるものは…ずばり大人とのやりとり以外にありえません。

 最近作文の添削をしていて(とくに3年生以下の低学年で)、つとに思うことは、言葉のニュアンスがつかみきれず、とりあえず言葉をつかってみましたという作文をちらほら見かけるということです。

 添削してかなり誘導をしたり、組みあわせではなく、一つの言葉を使っての作文をさせたり、あの手この手で修正はしていますが、本来の最も効果的な方法は、書いた段階でおかしな使い方をしている言葉を具体例を挙げながら直してあげることです。

 じつはロジムの教室で行う作文もこの形式にそって行われています。お子様の書いた作文の発表を聞いて、それについて少しコメントをつけながら、こんなふうに使うともっといいよ、などと言葉の質感をできるかぎり伝えていきます。お子様も意外と楽しそうにやっています。知らないことを知るのは本来大きな喜びですから、方法さえ間違わなければ(しかる・おこるなどしなければ)、言葉の勉強ってそんなにつらくないんです。

 でもそこはまだお子様。授業で話を聞いた瞬間はふーんとうなずいていても、その後2,3日放っておくときれいさっぱり忘れていたりします。お子様の時間は濃密ですから、次々と記憶が塗り重ねられていくのは避けられません。

 それを避けるにはまず、早めの復習(宿題)の着手を、というのが常道です。

 さらに加えていうなら、こと、言葉に関していえば、大人は絶対的なそして唯一の先生であるのです。なぜなら、辞書を引いたってことばの持つ質感なんてわからないのですから。読書をしたってその言葉の持つ色合いまで感じ取って読むには、その前段階として、言葉には言外のニュアンスが存在していることをわかっていなければ、簡単に読み飛ばしておしまいで、言葉の色合いなんかどこ吹く風でしょう。それでは一度風化した記憶を戻すことはできません。

 つまり、言葉のニュアンスをかぎとる力は自分より上の言語能力を持った人間との膨大なやり取りの経験意外にはありえません。これが国語が伸びるのに時間がかかる一つの要因なんですね。
 
 実際上手な作文を書くお子様の話を聞くと、いろいろと話をしながら書いている場合も多いです。1週間に一度、私がチェックするのに加えて、そのようなやり取りが週に30分もあれば、1年間で実に1500分もの差になっていたりします。通常授業の約3ヶ月分ですね。一日10分話をすれば、1年間でなんと…。
 
 低学年時にあえて、知らない言葉を投げかけて作文をしてくるという課題を課し、授業内でも相当の時間を言葉の学習につぎ込むのは、それこそが国語ひいてはお子様の思考力を高める基礎となるからです。何せ、人間は言葉で考える生き物ですから。

そしてその先生となるべきは、我々だけでなく、世のすべての大人たちなのではないでしょうか。
                                                          む


2009年05月19日

中学受験のメリット

こんにちは。竹村です。

遠い昔の話ですが、竹村も小学生のときやはり塾に通って中学受験をしました。
当時とても仲のよかった友達のお母さんが教育熱心で、その友達が塾に通い始めるときに
いっしょに誘われたのがきっかけでした。共働きだった両親にとっては、
ちょうど学童保育が終わってしまうタイミングたったため渡りに船だったようです。
当時から今に至るまで一貫して幸運だったと思っています。

中学受験のすぐ思いつくメリットといえば望校に合格して、色々すごい友達に刺激を受け
たり、自分と同程度の才能を持つ人間が沢山いることに気づいて慢心が溶けたり、
進度やレベルの高い授業を昼間から受けられたり、といった合格後のものだと思います。
もちろんそういったメリットもとても大きいのですが、どちらかというと
竹村が幸運だったと思っているのは、受験勉強そのものから得られる部分でした。

中学受験用の勉強では算国理社のどれをとっても、とても基礎的な教養や基本的な能力について
じっくりと扱います。その割には、中学高校と進むにつれ学習内容が細分化・専門化していく過程の中できちんと学ぶ機会が得られにくいものが多くありません。

中学に入ると「最初の一二年は中学受験の『貯金』で乗り切れてしまうから安心しがちだけど、
日々学習を続けていないと後悔するよ。」と先生に注意されました。
これはなかなか真実で、実際多くの生徒は中学三年になるころにとても後悔することになります
(とても後悔しました)。
ただ、逆に言えば中学受験の『貯金』はそれくらい大きいということです。

私の場合は今でも年に二三度はふと、「あ、これ(この知識、この思考法、この直感・・・etc)は中学受験の『貯金』だ」と思う瞬間があります。

「こんなこと勉強してなんになるんだ!」と思う瞬間があるかないかは人それぞれですが、
今勉強している内容はおそらく後になって振り返れば意外と役に立って便利なものになっていると思います。

受験という「目的」のための「手段」なんだ、と思って勉強するより、勉強そのものを目的ととらえてみると少し楽しくおもえるようになるのではないでしょうか。


2009年05月18日

きまぐれ授業メモ

講師用?という感もありますが、授業メモです。

本日ロジカルシンキング(2,3年生用)クラスでした。

テーマは「論理性 ~はなしのつながり~」の第二回。
20090518.png

できる限り難しい言葉を使わずに、
話のつながりに気をつける、因果関係への意識をもつことを習慣化することを目的とする授業です。

ロジカルってそもそもなに。→話がつながってること。
話をロジカルにするためには。 →つなぎ言葉をただしく使う。因果関係をつくるための隠れた前提、および画してはいけない前提を意識する

という流れ。

「演繹と推論の違い」についても例文から、二つの「だから」の用法の違いに気づいてもらう。さらに、推論文に前提を加えて演繹文にするという練習も用意したのですが、さすがに2,3年生でできる子は数名。2、3年用のテキストからは削除の予定です。

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隠れた前提について説明するためによく使うフレーム
「よくほえる犬は弱虫だ」「うちのポチはよくほえる」「???隠れた前提???」
だから
「ポチは弱虫だ」

大人には「ポチは犬である」という前提が隠れているというのは楽勝ですが、小学生にとっては中々難しい。ホワイトボードに「ポチ」と名札のついた像の絵を書いてやっと「あー、なんだー」と。

この授業をする時は、「隠れた前提をきちんと説明するようにしましょう」と杓子定規に教えると、隠れた前提ばかりを探すアラサガシKIDSが生まれてしまうので、ここは講師にスキルと注意が必要ですね。

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最後は、復習かねてつなぎ言葉作文(チームわけ、景品付)大会。
「だから」「なぜなら」「しかし」「また」「つまり」「また/または/さらに」「たとえば」をそれぞれ最低1回使って作文しましょうというもの。チームでライティングを行い、発表し、クラス全体で「つながり」をチェックします。

勝利チームの作文です。10分以内でつくった文としてはなかなかです。
「アンパンマンは、アンパンで作られている。だから、アンパンマンという名前だ。また、メロンパンナちゃんはメロンパンで作られている。しかし、チーズはチーズで作られていない。さらに、ジャムおじさんはジャムで作られていない。つまり、アンパンマンの仲間たちの名前のゆらいはバラバラだ。なぜなら、アンパンマンとメロンパンナちゃんは食べ物で作られているからそのパンの名前だが、ジャムおじさんやチーズたちは食べ物でできていない。名前のゆらいが食べ物でできていない登場人物はいっぱいいる。例えば、ドキンちゃんやバイキンマンなどだ。」

『なぜなら』のところで「理由になっていない」という修正ポイントありますが、本人たちも発表しながら「あ、ここ理由になってない」と気づいていました。『つまり』の使い方は秀逸ですね。『つまり』が鬼門だと気づき、『つまり』以下の文章から先につくっていたあたりは流石でした。

最近ロジカルシンキングに生徒の共同作業を多く盛り込んでいこうとしています。目下の興味は生徒がリーダーシップに目覚める瞬間です。

というわけで授業メモでした。


2009年は世界天文年

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2009年はイタリアの科学者ガリレオ・ガリレイが初めて望遠鏡を夜空に向け、宇宙への扉を開いた1609年から、400年の節目の年です。国際連合、ユネスコ(国連教育科学文化機関)、国際天文学連合は、この2009年を「世界天文年(International Year of Astronomy:略称 IYA)」と定めました。

世界中の人々が夜空を見上げ、宇宙の中の地球や人間の存在に思いを馳せ、自分なりの発見をしてもらうこと。それが世界天文年の目的です。地球人」としての認識を持ち、一緒に未来に向かっていくことを目標としつつ、ガリレオの経験したような驚きを、全員が共有し、尽きない宇宙の謎の魅力にふれてもらうため、天文学と宇宙科学に関する行事を、さまざまな規模や形態で世界中で展開する予定です。
日本では研究・教育・普及など全国の幅広いメンバーによって、特に子どもたちが本来持っている自然への興味と科学への関心を応援し、育てられるような企画を中心として、さまざまな事業を企画・実施しています。
公式HPより

夏にはBBCのドキュメンタリー「宇宙へ(そらへ)」が公開されます。既に映画館では予告編が流れていますが、非常に興味をそそられます。


2009年05月17日

爺のひとりごと044

爺じゃ。

「ほんの少しの大きな差」

ある日の生徒の会話。

生徒A「ねぇ、先生何歳?」
生徒B「35歳?」
生徒C「40歳?」
生徒B「さすがに40歳はないでしょ~?!」
生徒C「じゃ、39歳だ」
皆「あ~。」(うなずき)

38と39、39と40、どちらもただ1違うだけじゃが、
感じ方は大きく違うようじゃ。
この理由、説明できるかな?
ぜひ、考えてみて欲しいのぅ。

(爺)


2009年05月16日

久々の初習

ひとり言です。野村です。

もうすぐなんですが、ついにゴルフコースにでることに。デビューです。
さすがに下手すぎだと他人に迷惑かかるからということで、時々こっそり闇練してます。
(コーチングの山本さんに話したら、「いざとなったら投げればいい。だけど人間が投げてもあんまり飛ばないんだよねえ、と暖かい励ましの言葉。)

幼少のころ父親や祖父が打ちっぱなしにいくのについていくにつれ、
「だだっぴろい空間に向かってみんなで並んで、棒をつかって球うちこんでなにがおもしろいのだろうか・・・。」と不思議でなりませんでしたが、まさか自分がだだっ広い空間に球うってるとは。

さておき、

われわれくらいの年齢になると、まったくやったことないことを集中的に訓練する機会って
そうはないのですよね。どっかで類似の体験をしていたり。

今回久々の初習事項ということで、もどかしいやら楽しいやら。いや、訂正。まだ楽しくないです。

頭で考えるのが大事だけど、それだけではだめで、反復練習が大事だったり、
人に聞くのがすごく大事だったり、でも教わるだけだと意味なかったり、
集中しない方向への集中とかいろいろやってみたり、
考える時間と体に覚えこませる時間をしっかり分けるために無心になってみたり、たりたりたり・・・。

まあ忘れかけていた久々の勝手のわからない試行錯誤の経験です。

試行錯誤!! 大事ですね!



2009年05月15日

母の日

こんにちは。広田です。

この前の日曜日は【母の日】でしたね。
みなさんは何か送られましたか?やはり王道でカーネーションでしょうか。
スーパーに買い物に行ったときに、ここぞとばかりに入口付近に大量に配備されていました。
しかし1本で3~500円もすると、ケーキの一つでも買った方が喜んでくれそうな気がするのは気のせいでしょうか?(単に自分ならその方が嬉しい、という話かもしれませんが)

ちなみに広田は先日導入したオーブンで「バナナマフィン」を作ってあげました。

P1000038.JPG


作った種の量に対して容器が大き過ぎたのに気づいたのは焼き終わってからでした…
味は、まぁ普通に食べれるレベルでした。世間の「美味しい」って感覚はどのくらいなんでしょうか?
見えない物に対して有効な定規とか誰か発明してくれませんかね?


そういえば、冬の頃に蓄えたお腹の脂肪がどんどん減ってきて、一時期は62kgだったのに今は59kgまで減量に成功しました。広田はやれば出来る子です。

しかし、オーブンという相棒が出現し、休みの日には高確率でお菓子を作っている。
これは、せっかく痩せたお腹のお肉が再びピンチかもしれませんね…

日々お肉と戦いながら、お菓子作りに明け暮れる広田です。
それでは、また。


2009年05月14日

添削は直しまで完成して意味がある、課題は身についてこそ意義がある

 こんばんは。日中暑く、より肌寒い気候がつづいていますね。皆さん、風邪などひきませんように。

 さて、本日はタイトルどおり、わかりやすい話を少々。日々の学習の到達点の確認です。タイトルのごとくそのままですが、皆さん添削はきちんと最後まで直していますか?暗記系の課題は覚えるところまで、きちんと到達していますか?算数や理科の計算問題は自力で解けるようになっていますか。

 もし、そうなっていないようだったら、危険信号。はっきりいいますが、やりっぱなしは何もやっていないに等しい。
 「宿題はやった?」
 「やった。」
 「じゃあ、確認してみよう。」
 「覚えていません」
 それだったら、やった時間が無駄ですね。何もやらなくてできることから何も進歩していないのですから。自分で解答を確認して、覚えるという作業まで含めて、初めて宿題は完成するのです。

 添削も同様。はっきりいうと、1回目の提出より、2回目の提出のほうがはるかに大切。1回目で不明だった点をヒント等で確認し、それを元に自分が何をわかっていなかったのか、自分が今後どういう点に気をつければいいのかをじっくり考えることができるのですから。
 
 そこまでやって初めて、
「ヒントの意味がわからない」「なぜ自分の考えではいけないのか」「どうすればできるようになるのか」等々疑問・質問が出てきます。それが自分を更なる高みに引っ張るキーになります。

 そういう意味で学問的には新し物好きは損にしかならない場合が多い。新しいことばかり追いかけると、それよりはるかに大切な間違いを見つめなおす、自分が本当に理解しているかどうか確認するという土台がおろそかになるからです。緩んだ土台には高いビルどころか、小さな家だって建ちません。

 以前も書きましたが、私の中の優先順位の2番目は質問対応です。(1番目は当然授業です)そして3番目が添削の採点です。なぜなら、これが授業以外で唯一今あるお子様の力を伸ばす手段だからです。

 今のところ、見るに見かねて、私のほうから、声をかけたりもしますが、実はこれも最大の効果は得られません。なんせ、こちらが一方的に誘導していく場合が多くなりがちですから、本当に考える機会を与えていることにはなりません。

 ぜひとも模範解答にけんかを売るくらいのつもりで自分の考えを練り上げて、ぶつけにきてほしいものです。時間の許すかぎり、最大限の対応をいたします。            む


2009年05月12日

掃除週間

こんばんは。竹村です。ちかごろ自宅が汚れがちになって、
それに引きずられてドミノ倒しに調子が悪くなってしまうことが
何度かあったので、今週一週間を掃除週間にしてみました。

自宅にいられる余った時間をどんどん掃除にあてていくだけなのですが、
おかげで部屋がなんだかシャワーを浴びた後みたいにすっきりした気がします。

掃除をしながら改めて思ったことがひとつ。雑然としてしまったものを並べなおす、物の配置換えを
して使うものから近くにあるようにする、詰め込み方を工夫して収納スペースを増やす、
いろんな片づけの仕方があります。しかし、やっぱりもっともシンプルで効率的なのは
『捨てる』、これに限る気がします。捨ててしまえばもう頭を悩ませなくて良いし、
将来部屋をちらかしてしまう原因が確実に一つ減ります。

竹村は良く、とりあえずゴミ袋を一つ持ってきて『よし、あと一時間でこれをいっぱいにするぞ』
と自分に言い聞かせます。大半は紙ごみなどですが、なかなかいっぱいにならないときも
もう着ない冬の服などを捨てることにすれば意外と何とかなります。

ちょっと面白くなってきたのでもう一週間くらい延長して、もう一度汚してしまうのがもったいなくなって
しまうくらいまできれいにしてやろうと思います。