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ひとりごと・雑談 アーカイブ

2008年11月22日

雑記

こんばんは、野村です。

まずはお知らせですが、明後日24日月曜は祝日時間割です。
全授業5時間前倒しで行われますのでご注意ください。

さて、先ほど広田さんがボソッといっていたのですが、
「なんで大人になったら勉強したくなるんでしょうね」

そうなんですよね、不思議ですよねー。
強制されないからなんですかね。ただ、小学生だって一部の子を除いては、
強制はされていないですもね。やめたきゃやめりゃいいのだし。
少なくとも1日何時間も4教科勉強する必要はないですよね。やりたくなければ。

連続性があると飽きちゃうからですかね。
たしかに大人でも、ちょっとの興味ではじめた勉強も続けていると途中で挫折する可能性高いですよね。

本来義務を感じる必要のない受験勉強も、義務感を背負ってしまっている生徒は多いですよね。
義務感の中、国語、算数、理科、社会、(英語)を浅く広く勉強するのは確かにつらいですよ。
なんとかならないものですかね。


仮に中学入試が4科目の中から1科目だけを選んでよいとなったら、
ずいぶん受験勉強が楽になると思うんですよね。その代わりもっともっと難しくして。
時間や作業量的にはもしかしたら今よりきつくなるかもしれませんが、精神衛生上ずっと楽ですよ。

なにより比較的好きな分野を掘り下げるいい経験になるはずだと思うのですが。

一般教養としての4科目は必要!という方もいるかもしれないでしょうが、
正直中学はいってから勉強すれば無問題です。
それよりも小学生のうちに(一科目でも)好きな勉強にうちこむ体験と習慣を
身に着けるほうがよっぽど有用だと思います。

ちなみに野村は中学受験していないこともあり、小学生の時の勉強時間は限りなくゼロです。
学習机に座ったことなどありません。
(あ、でも小学校の授業は完璧に記憶してましたよ。宿題持ち帰るのがいやだったので。)

と、まあ何がいいたいかというと、
4科目まんべなく勉強するより、好きな1科目を突出させる作戦のほうが
中学受験でも有効だと思います。中学受験以上にその先の勉強や生活に対してはもっと有効です。

しかも、1科目できるようになるとなぜかついでに他の科目も出来るようになったりするものです。

と、まあ取り巻く環境でそうも簡単にいってられないでしょうけど・・・。

すみませんまとまりのない文章で。完全にネタ切れです。


2008年11月21日

主役ならぬ主厄

こんにちは。
久々の登場になります、広田です。

最近、秋と言うには朝晩が寒すぎる気がします。
布団から出るのもしんどいです。
あと、乾燥具合も洒落にならないですね。
自分はお肌が敏感なので、今くらいの乾燥でも十分にケアしな
いといけなくて日々戦いです。


さて、話が変わりまして、ちょっと「厄年」のことを話してみ
ようかと思います。
そもそも、なぜ「厄年」なのかというと、自分が厄年だと昨日
きづいたからです。
そして今年が本厄だったという。
ちなみに去年も前厄だなんて気づいてませんでした。
今年も残り2ヶ月ないときに気づいたのは少し幸せなのかなぁ
とも思います(笑)
でも来年も後厄なんですが、個人的なイメージとして、おみく
じの大凶みたいなものかなと思います。
底辺にいるのだから、あとは上がるだけだと思えば尻上がりで
いい調子になるのかなと楽観的に捉えています。

厄払いとか神社でやっていますが、自分は受けた経験がありま
せん。
効き目あるんですかね?
四半世紀も生きていない若造なので実体験もあまり聞いたこと
がなく気休めなのかな、という捉え方しかできません。


しかし、思い返せば去年と今年は激動でした。
人生のターニングポイントだったと思います。
たまたま今年に起こったのか、厄年だったから起こったのかわ
かりませんが、随分と精神を削られた年でした。

さて、もうすぐ後厄とこんにちわ、年が変わります。
この一年を改めて振り返りながら来年を迎えたいなと思います

詳しく言うなら、本厄は12月末までなので気を抜かないことと
、後厄がどういうことなのか調べて対策が講じられたらいいな
と。


それでは、今回はこのあたりで。


2008年11月20日

好きな科目嫌いな科目

こんにちは、竹村です。

たいていの子どもには、4個も科目がある中で好きな科目と
嫌いな科目があると思います。あるいは、同じ科目のなかでも、
好きな分野や嫌いな分野が分かれているとか。

ところが、時々嫌いな科目が好きになるときがあります。

一つは年を取るにつれてなんとなく趣味が変わってくるなかで、
いつのまにか前ほど科目に対する嗜好が変わってくるとき。
竹村は昔から算数があまり得意でなく、長いこと全く好きになれませんでした。
ところが、だんだん年を取ってくるうちに昔のように算数と聞いただけで
げんなりするような苦手意識はなくなっていました(いまだに数学はあまり得意でもないのですが)。

もう一つは、いい教材や先生に出会って、急にその科目の魅力や本質が理解できたとき。
これはもうなんとなくではなく劇的にやってきます。それまでの苦手意識が180度裏返るような
感じ。
高校のころ、地学や世界史でこんな体験がありました。人の出会いはなかなか偶然の
要素が強いのでコントロールしづらいですが、教材に関しては書店に行けば
いくらでも並んでいます。1000円ちょっとで買えてしまうものに、価値観
変えられてしまうこともあります。


せっかく勉強する以上、やっぱり楽しんでやるほうが良いです。今嫌いな科目でも
いつか好きになってくれるといいな、と思います。


2008年11月19日

あれをやっていれば、これをやっていれば

苅野です。深夜まで考えごとをして、なかなか突破できないでいると「昔もっと勉強していればなー。」との思うことが多いですね。私だけでなく、ほとんどの大人は同じような思いをすることが多いのではないでしょうか。会社で働いていても、子供の頃には想像をしなかった形で知識や能力が必要とされますよね。後悔先に立たず。

数学の世界で言えば、数少ない大学、研究所の席を争うような学生は模試で偏差値70とかそういうレベルを遥かに超えています。小学生の時点で高校、大学レベルにまで踏み込む位強い興味をもっています。本格的な勝負が始まる大学に入学した時点で、思考の速さ、粘り強さ、視野の広さが大学受験レベルとは全く別次元です。大学の数学科には、中高生がよくうろうろしているんです。
そんな現実を前に、私は小中高とほとんど勉強しなかったことに起因する能力の低さを非常に痛感し、後悔しました。能力不足を少しでも補うには、経験しかないのだと思います。

で、子供たちに対して「勉強しておいたほうがいいぞ」と思う訳です。
ただ、実際に子供が必要な勉強をして、しっかり力をつけてもらうように誘導するのはとても難しい。

「将来のためなんだから・・・」という説法が効果0なのは既にご承知の通り。
「無理矢理やらせる」というのが成果0なのもご承知の通り。

私の思う「勉強をしなかった」というのは、「興味を持てなかった」ということと同じです。
つまり、「勉強をさせる」というのは、「興味を持たせる」ということと同じです。

日々悩み、工夫の日々です。
理科系で言えば、Newtonやブルーバックスなどかな。アトラクションとして実験教室も良いが、実は鑑賞しているだけということが多いので、本質に自分で踏み込んでいく工夫をしないと意味がないかな。なんと言っても、能力が高く、知識の豊富な先生と接する機会の量かな。などなど(この3つは過去の自分に是非おすすめしたい。)


2008年11月18日

大器は晩成す

 こんばんは。合判の3回目も終わり、いよいよ6年生の入試勉強も大詰め、なんてことはありません。まだまだここからたくさん伸びますし、たくさん転げ落ちます。なぜって、私の感覚だと試験にむけての勉強は、夏からスタートしているから。まだ実は半分ちょっと過ぎただけなのです。そして今やっとこさ、夏のためが効き始めているころあいかな、というところです。
 誤解のないように言っておくと、夏まで何もしていなかったわけではないです。夏まではじっくりじっくり物の本質を捉える思考法を植えつけていたのです。だって夏前に無理に記憶させようとしたって、そんなものはすぐに、どっかにいっちゃいますから。
 それに、それまでの色々考える勉強と違ってあまり面白くないんです、ひたすら点数を追いかける勉強というのは。浅いし、面倒だし、なんか解けた喜びも少ないし。
 というわけで、やっと夏以降にきちんと点数に結びつける勉強が始まるわけです。スピードをあげる訓練やら、時間配分の仕方やら、足りない知識をまとめさせるやら、特殊な問題の解法を整理するやら(これを「小さな(応用への)対処」と呼んでおきます、実際の試験はこの割合が非常に大きいです)。こういう作業は受験前の5ヶ月で始まり、まだ2ヶ月半がすぎただけなのです。
 そしてこの作業が花開くためには、前述の「物の本質を捉える力(これを「大きな基礎」と呼んでおきます)」が不可欠です。「大きな基礎」が養われていなければ、「小さな対処」の定着率が激減します。全部覚えないといけませんから。逆に大きな基礎があれば、小さな対処を最終的に身につけるのは意外に容易なのです(今までの経験上、およそ2~3ヶ月で効果が出始めます)。この「小さな対処」が始まって、まだ2ヶ月半。残りあと2ヶ月半。

 この時期、われわれは毎年やらせる内容が違います。お子様一人ひとり個性があります。得手不得手も違います。それらを総合してみて、全体に欠けている「大きな基礎」(もうそんなにありません)、あるいは、まだ伸ばせる「小さな対処」(こちらが授業のメインになっています)を授業中に、個々に必要な部分を個別のフォローで消化させていくのです。そして基本的には授業であつかう以外の部分を個別のフォローで回していきます。

 「大きな基礎」あっての「小さな対処」の効果は最後に出ます。というわけで、あと『半分』の期間を有意義に使うために、入試に直結する「小さな対処」の復習=授業の復習(「大きな基礎」があってもこれをサボると点数が取れませんし、逆転されます)と個別に出される課題への真摯な取り組みをゆめゆめ怠らないでください 乱文失礼致しました。                        む


2008年11月16日

爺のひとりごと023

爺じゃ。

この一週間、いい天気が続いたと思えば週末は曇り空。
まったく、はっきりしてほしいものじゃ。
でも、昼過ぎの雨のにおいは嫌いではない爺じゃぞい。

そうそう、この間「ロト6」の記念すべき初当選の報告をしたのぅ。
それと時期を同じくして、爺は「ナンバーズ4」にまで手を出しはじめてな。
ま、こちらはロト6とは違って気が向いたらひょいひょいと買うわけじゃが、
先日13日に買った爺の番号が「0479」。
そして、その晩の当選数字が「3479」。

ぬぉ~っ!
ヒットアンドホームラン好きのロジム生から見れば、
まさに3ホームランなわけじゃ!
(が、1つでも数字が違えば当選にはならないところが泣ける)
今まで爺も、2ヒット1ホームランくらいは経験があったんじゃが、
3ホームランとなると…(むずむず)。
ボックス(いわゆる4ヒット狙い)で買っていた爺もこれを機に
ストレート(いわゆる4ホームラン狙い)買いにしようかのぅ。

と、まるで爺がギャンブル好きみたいじゃのぅ。
いやいや、爺にはそんな勇気はないんじゃ。

こんな「くそ~っ、もう一歩じゃったかぁ」なんてのを楽しんでるんじゃよ。
エコロ爺ならぬ、セコロ爺じゃな。

眠い。
お休みじゃ。(爺)


2008年11月15日

休講週の土曜日

野村です。
こんばんは。今週は休講の多い週で、比較的のんびりです。
引越しを完全に仕上げ、近所をチェックしたり。
三日坊主確実という噂もありますが、自炊をしてみたり。
2008111521170000.jpg
(って、わざわざ写真をのせるほどでもないんですが、、、挽肉カレーです。)

まあそんなわけでまず野村の生活が心機一転したところで、
水面下でロジムの心機一転もちゃくちゃくと進行しております。

既に3年生で実験した「日々の演習」プリントを、近々、今度は低学年で導入テストします。
ご協力のほどを~。「これ以上宿題増えたら無理!」「もっと量を増やして欲しい」
「1枚の問題数を減らして毎日継続できることを優先すべきだ」等、忌憚なきご意見をいただければと思います。

あと、そろそろ問合せが増えてきた来年度の時間割のお知らせは12月上旬の予定です。また昨年のように仮案の段階からお知らせできればと思います。

すみません。あまり内容のない書き込みで。。。。


2008年11月13日

手で考える

こんにちは、竹村です。

手で考える

よく聞く言葉だし、いまさらですが、至言だな、と思います。
竹村自身も結構めんどうくさがりなのでついつい頭で
考えてしまおうとしてしまうのですが、大人も子どもも
自然と手が動く人はやっぱり強いです。

とりあえず書いてみることで、問題の取っ掛かりがつかめる。

書いている間に、情報を新しく整理しなおすことができて、ひらめきが生まれる。

書いてしまうことで、抱えていなければならないものの量が減って、
頭に考えるスペースができる。

効用はたくさんありますが、教室で見ていても自然と手が動く子は
安心してみていられる信頼感があります。
少なくともとまっていないから、いろんなところにぶつかっているうちに
どこかにはたどり着く。それが間違っていれば指導してあげればいい。

一生懸命うーんと紙をにらんでいても、解けないものは解けません。
困ったら、書いてみる。基本ですが、できているかどうか
もう一度確認してみてください。


2008年11月12日

意外と貴重な移動時間

移動時間をうまく使おうというのではなく、移動時間を確保してみようというお話。
ここ数年、勤務地と自宅が近い。というか、近くに住むようにしている。
車で5分から10分。電車を移動の主な手段に使わなくなって10年近い。ここ3年はバイク。
しかし、最近駒場教室への移動を電車にしている。理由は1つ。電車の中で、考えごとをすると非常にはかどるからだ。
元々、考えごとをするために電車に乗ったりするのだが、自宅を含め最も仕事が進むのが電車の中。新幹線通勤ってのもいいなと思い始めています。空がたくさん見えるところに住んでみたいという希望もかなうかな。


2008年11月11日

時計

 お気づきの方もいらっしゃったかもしれませんが、2週間ほど時計を実家に置き忘れていました。きのう復活したのですが、授業中や仕事中は時計があったほうがいいですね。いちいち、携帯などを見るのは大変です。
 
 2時間という決められた枠の中で最大限の効果を引き出すには、ある程度計画を立てて事を運ばないと、効率よくものを伝えることはできません。日々の宿題なんかも、おおよその時間的な計画をたてて、時間内で集中してやるのが良いでしょう。その意味では時計やタイマーの存在は助かります。

 しかし、逆に時間を気にしないでやることも大切。算数の難問や国語の難問・社会の調べ学習なんかは、あれこれ試行錯誤しながら、「とことん考える」ことがあってもいいのではないかな、と思います。苅野も書いていましたが、その過程で得るものはとても大きなものだと思います。
もちろん時間には限りがありますから、いつまでもそれに取り組んでいるわけには行かないのですが・・・。

 私は、最近一日でやる仕事の計画をわざと少なくしています。そうすることでじっくり取り組める時間の余裕を持たせる、のが狙い。コツは時間を切ってざくざくと処理すべきことがらと、時間の読めない創作的なことがらをうまく割り振ることですかね。
 時間を区切ってやるべきことはだらだらとならないような、そしてじっくり取り組むことはある時間を気にせず、納得いくまでやっても良いという気持ちの余裕が持てるようなスケジュール作りを心がけたいものです。                     む