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ひとりごと・雑談 アーカイブ

2008年12月06日

自由を不自由に感じるということ

野村です。

寒くなりましたね。ほんとに応えます。。。。


さて、先日もブログに書いたのですが、
やはり最近気になるのが、生徒の「自由を不自由と感じる性質」です。

「先生、シャープペンつかっていいですか?」は、まあ学校やご家庭で禁止されているのかなと想像できますが、なにかにつけて、「先生、消してなおしていいの?」「先生、余白つかっていいの?」
「例えは自分の身の回りのことでいいの?」「はみだしていいの?」「自分の言葉で説明していいの?」云々、

正直、それを自分で判断しなかったら何を判断するの?というような質問も多く驚くことが多いです。
(もちろんそんなことない生徒も多数います)

『5つのラーメン屋さんのメニューの数を調べた結果を表すグラフの縦軸、横軸を書きなさい。』
(ロジカルシンキング低学年、中学年で使用した問題です)
という問題でも、
ラーメン屋さんの名前を自分で想定していいかどうかに戸惑い、手がとまってしまう生徒が散見されました。

自由度の高い指定があればあるほど、不自由に感じてしまう。
創造的な作業を担い、これから先、学問や社会で活躍すべき小学生の多くが、こういった状況にいるのは、やはり歓迎できない状況です。

ロジムももっともっと授業を工夫しますが、ご家庭(や学校でも)自由に作業する時間をもっと多く、そして大事にしてみてほしいと思います。

自由環境の中で活躍するには、自由に慣れていなくてはいけないのかな、
そんなことを考えました。



2008年12月05日

(・ω・)ショボーン

こんばんは、広田です。
今日は夕方に突然、雨が降りましたね。
みなさんも調度、下校途中だったのではないでしょうか?
濡れてしまった方はしょんぼりしちゃいますね。
広田家の洗濯物も出しっぱなしなので当然濡れていることでし
ょう。しょんぼりです。

さて、今回は何を話しましょうかね。
そうだ、常々言おうと思っていたことがありましたので、この
場をお借りして皆さんにお願いしたいことがあります。

「ゴミはゴミ箱に捨てましょう」

ロジムを掃除する者として、これは是非ご協力願いたいです。
特に門仲の教室でお菓子の包装や食べかすが落ちているのが目
立ちます。
机の引き出しの中に入っていたりします。
そのようなものを見つける度に広田の顔は(・ω・)こんな顔
になってしまいます。
先ほども2つほど発見して、しょんぼりしてます。
もはや、しょんぼりを通り越して、スーパーしょんぼりです。

休み時間にお菓子を食べるのはロジムでも禁止されていないよ
うですが、食べるならマナーを守ってもらいたいです。
ゴミはゴミ箱に捨てる。当たり前のことだと思います。そして
ロジムにも所々にゴミ箱は設置してあります。
もしかしたらゴミ箱がどこにあるのか、わからない人もいるか
もしれません。
駒場の方は受付とトイレ前にしかないので知らない人も多いか
もしれません。
それでも、捨ててくださーい、と持ってきてくれる人もいます
。その意識が大切だと思います。
現状すべての教室にゴミ箱を設置していないということもある
ので、食べたあとゴミを持っているのが嫌だなぁとなってつい
つい捨ててしまうのでしょうか。
それならば全ての教室にゴミ箱を設置します。ゴミ箱を置いて
ほしいと言ってください。

ですので、これを見た人は、ゴミはゴミ箱に捨てるように心が
けてください。
また、教室にゴミを残していく人を見かけたら注意をしてあげ
てください。

もし、広田が見てる時にお菓子のゴミを捨てるようなことがあ
ったら(`・ω・´)こんな顔になっちゃうかも知れません。

皆さんよろしくおねがいします。

それでは。


2008年12月04日

「発想力」は才能?

最近殊に、と言うわけでもないのですが人と話していると時々「発想力」という
言葉を耳にします。定義はあいまいなのですが、どうも(多少意外性があってかつ興味深い、あるいは
説得力のある)アイディアを出す力、という意味のようです。
使われている文脈から判断するに、おそらくアレルギーや身長等といっしょでかなり
先天的な才能と捉えられているようです。

しかし、実感的には少なくとも小学生のレベルにおいてはこれはむしろかなり後天的に身についてくる要素
な気がします。具体的に言ってしまうと小学生レベルでの「発想力」はほぼ確実に「知識量」あるいは
「語彙の豊富さ」に比例していると思います。

例えば、「卵を産まない動物ってどんなのが思いつく?」と聞いて「クジラ!」と答えられる子どもは、
何も先天的に思いつく力が優れているわけではなくて、
もともと「卵を産まない動物→哺乳類」「クジラは哺乳類である」という知識を持っているわけです。

「発想」といわれるものの99%まではおそらく「連想」です。「知識」というのは思いをめぐらせる
ための回路ですので、知識が多ければ多いほど連想でたどっていけるルートが多くなります。

「○○って聞いて何を思いつく?」と聞かれて「何も思いつかない。。。。。。」と止まってしまう子は
そこから連想していくルートがない、あるいは持っていても記憶のかなたにあってとっさに出てくるほどには身近
でない、というだけだと思います。

あともうひとつ、いわゆる発想力を左右する要素があるとしたら、それは「ずうずうしさ」「思慮の浅さ」かもしれません。
何かを思いついたときに「でもこれは妥当な答えではないかもしれない」と考えないこと。
作文を教えていて何もアイディアが出てこない、という子に
「○○なことって全然、一個も思いつかないの?」と聞いてみると「△△って考えたんだけどかくかくしかじかで
だめそうだし、□□はうんたらかんたらで上手くいきそうにないし」、と頭の中でいちいち考えにだめだしをしてしまっていることが良くあります。
そういう時は「だめかどうかは後で考えればいいから、とりあえず思いついたら書いちゃいな」とアドバイスします。
アイディアを出すときは、余計なことは考えずにひたすら無責任に出してしまうことがコツなのですが、
そういったものは技術と態度の問題なのでちょっと訓練すれば身につきます。
世の中にはどうしても先天的な要素、いわゆる「才能」によって左右されてしまうこともあると思います。
しかし、遺伝子によって左右されるとはっきり証明されてもいないことを、自分から「才能」という言葉
であきらめてしまうのはとても非合理だしもったいないことだと思います。


2008年12月03日

背伸びをして

興味深いテーマを見つける。それを理解するためには、多くの知識を必要とする。だからそれらの知識を勉強する。
というサイクルに入るととたんに今までつまらなそうに見えた勉強が魅力的なものに見えてきたりします。
前提知識がなくても問われていることは理解できるという問題はそんなに多くはありませんが、あるにはあるので、さらっとでも話をしてあげるようにしています。

というわけで有名な公式を1つ。「ヘロンの公式」を使うと三角形の面積が3辺の長さのみをつかって求めることができます。なんだって!?どんな公式!?なぜ!?と思ったら自分で調べて、勉強してみてください。



2008年12月02日

引き続き

 こんばんは。もう師走、月日のたつのは早いものです。

 さて今回も学年の変わり目で、少々気になることを。それは「漢字」への意識です。

 最近、漢字テストの結果が二極化しています。上位層は非常に良くできている一方で、まったく練習している気配のない人もいます。これは由々しき事態を引き起こしかねません。

①学習習慣として:漢字は日々の学習習慣の有無で、その成果が大きく左右されます。漢字の学習習 慣がないことは、将来の日々の演習(計算・国理社の知識など)をきちんとできるかどうかを基礎付け ます。何でも基礎の反復が重要です。それなしには真の力は育ちません。漢字等がきちんとこなせな いと、この点が非常に危ぶまれます。

②入試では:あまり騒ぎたくないですが、入試で漢字は取れて当たり前です。取れなかった人は無条件 で差をつけられます。しかも少なくとも、国語と社会の両方で相当点数を失う結果になります。


 勿論、漢字等のこまごました勉強だけが勉強ではありませんし、それ以外のことを重視して勉強するのを否定するものではありません。むしろただ単に暗記するような勉強よりは、深く考える勉強を楽しんでほしいと思います。
 しかし一方で、学校でもやっているであろう漢字までまったく書けないようでは、その他の勉強をやっている場合ではないのではないかとも思います(この点最低限度の言語習得はすべての勉強に必須だと、私は思います)。
 少なくとも、毎週やるといわれているテストに対して、一定以上の力を注げないのであれば、「競争」には不向きということでしょう。それは個人的にはとても平和でいいと思いますが、特にだらだらと惰性でやっている人へ。どうせやるなら、適当にやらずに、真剣にやったほうが楽しいのではないかな、と思う今日この頃です。
                                     む


2008年12月01日

ヨーロッパの街並を見ながら思い出す

世界ふれあい街歩き ザルツブルグ を見ながら。
私の初めての海外は、旅行ではなくいきなり留学でした。朝5時過ぎのまだ真っ暗のパリに到着したときの興奮は相当なものでした。ヨーロッパの街並が珍しく2日間一睡もせず街を歩きまくったのをはっきりと覚えています。
万全のトレーニングを積んだはずが、授業が全く聞き取れなかったこと。学校の授業で日本のことについて訪ねられまくり困ったこと。ドラゴンボールが流行っていたので、私のあだ名が「ゴクウ」だったことなどは良い思い出。
印象に残っているのは、朝パジャマのまま家の近くのパン屋に出かけたりすると、フランス人に道を聞かれることが少なくなかったということ。見た目が地元人っぽくても、日本人が外国人に道を訪ねるなんて絶対にないですよね。社会の違い、意識の違いを非常に強く感じました。


2008年11月30日

爺のひとりごと024

爺じゃ。

さて、ついに2008年も師走を迎える時期になったのぅ。
爺の住んでいる街も、駅前ではイルミネーションでぎらぎらしておる。
ま、エコの関係で23時までななので、爺はいつも見られないんじゃが。

あ、そうそう。
今ちょうど金星と木星が並んで見える時期じゃ。
皆も、ふと夜空を見ると(結構低い位置じゃ)、
2つ明るい星が並んでいることに気づかなかったかな?
そう、それが金星と木星じゃ。
ちなみに、下の大きいのが金星、上の小さいのが木星。
本当は木星の方が大きいんじゃが、金星の方が近いために大きく見るんじゃよ。
そして、この金星と木星は明日12月1日が最も近づいて見える日らしい。
最も接近するのは18時頃で、その距離はおよそ2度。
大接近ではないんじゃが、太陽系の惑星で1番目と2番目に明るい両者だけに、
日没後の南西の空でかなり目立つこと間違いなしじゃな。
それに加えて、明日は月齢3.7の三日月も近くに見えるんじゃ。
美しく輝く三日月は、おそらく両者の右下方向に見えるはずじゃ。
日没後に、南西の方角に見えるはずじゃから、
自分が見ようとする方向をよく確認して、ぜひ観測してみるとよいじゃろう。

おやすみじゃ。(爺)


2008年11月28日

好きこそ物の上手なれ

増住です、こんにちは。

あさって、フルマラソンを走ります。
20kmも走ったことがない自分が、
完全なる未体験ゾーン=42.195km
に挑戦する・・
考えただけで恐ろしいですが(笑)、全力を尽くします。


さっき、広田さんと話していたのですが、子どもって、興味があればなんでも覚えますよね。
たとえば、ポケモン。
勉強ができるできないにかかわらず、ポケモンをやっている子どもは、すべてのポケモンについて熟知しています。


僕が小学生のとき、ポケモンは151種類いましたが、
(現在は、なんと、500種類近くもいるそうです)

その一匹一匹の

見た目、名前、タイプ、技、能力・・・

あらゆる「特徴」を、ポケモンをやっている子どもたちは即座に答えることができました。
(もちろん僕も答えられました)
なぜ子どもたちは、それほどに驚異的な記憶力を発揮することが出来たのか。
それは、「子どもたちが、ポケモンを大好きだったから」です。

「好きこそ物の上手なれ」

とはよくいったもので、
勉強が出来るか出来ないか、は、勉強が好きか嫌いか、ということにかなり関係してきます。
だから、子どもに勉強を好きになってもらうことが、成績を伸ばす一番の近道になります。


もし、子どもたちが興味を持つのが、
ポケモンではなく、歴史上の人物だったら・・・
150人もの歴史上の人物の、
名前、性格、能力、実現したこと・・・
を暗記し、即座に答えられる、ということです。

そして、子どもたちは、その対象を好きである限り、知識を無限に広く、深くしていくことができます。
そうなったら、すごいですよね。
--


2008年11月27日

世界と作品

最近寒くて寒くてたまりませんね。冬はやっぱり苦手です。
それでも最近晴れている日に(特に朝ごろ)風景がきらきら見える
のが楽しくて、ちょっとだけ冬の良さも分かってきた気がします。

過去のブログでも何度も何度も「本を読みましょう」というような
話題ばかり降ってきたのですが、今回もやっぱりそんな感じの
お話。

少なくとも竹村にとって小学生や中学生のころに読んだ本は、
それ以降に読んだ本とは少し違います。
境目はおそらく高校一年生くらい。
それ以前のころには本はなんというかひとつひとつの小さな「世界」
でした。もちろんそれは本だけに限ったことではなくて漫画やゲーム
の主人公だってそうだったのですが、とにかく無条件に無防備に感情移入
しすぎていました。長い時間かけて読んでいたお話が終わってしまった
時には、なんだか仲の良い友達と二度と会えなくなってしまったような
さみしさがありました。

ところが、高校生になったころから本がひとつの「作品」として
見えてくるようになりました。理由はおそらくいくつかあるのですが、
おそらく最も大きいのは「作者」の影が見えるようになってきたこと
です。「こういう人がこういう工夫をして書いているんだろうな」と
いうことがふとした瞬間にみえてしまうようになると、その度に
現実に引き戻されるようで、以前のように盲目的にその世界に没頭している
ことができなくなりました。

そのおかげで今度は「言葉遊びを楽しむ」「表現を楽しむ」「発想を楽しむ」
といった新しい読み方がわかって来て、ずいぶん読書の幅が広がったり、
また読む本の趣味もかわったり、良いこともたくさんありました。

それでも時々物語にどっぷり夢中になってほかの事を忘れきって
しまうかんじが懐かしくなることもあります。

ある時期のある瞬間にしか体験できないことはいっぱいありますが、
多分読書にも年齢ごとにそんな瞬間があります。
せっかくだから、生徒の皆さんにも経験してみてほしいです


2008年11月25日

 こんばんは。日に日に寒さが増し、外にでるのも億劫な季節になってまいりました。皆様お風邪などには十分ご注意ください。
 さて、最近漢字や添削の採点をしていて、少々気になる点として、字の丁寧さ(上手さではありません)が挙げられます。低学年~高学年に至るまで、非常に心配です。
 理由は二つ。1つは現実の入試を考えたら、印象点が非常に悪いこと。採点する側も人間ですから、これは実は無意識に働きます。私自身、漢字テストや添削も字が汚いと思わず×とつけてしまいそうになるのを、ぐっとこらえてきちんと読んでいるのが現状です。入試という「ふるいおとし」にかけるためのテストで、こんな温情がかけてもらえるとは到底思えません。
 その2。こちらのほうがより重大なのですが、書きなぐったような字を書くお子様に見受けられるのは、その作成する答案も雑である(きちんと思考して確かめながら書いたとはいいがたい)ものが多いということです。時間がなくてつい、というのもわかりますが、けっきょくそうやって短時間で適当に済ませた答案が○をもらえることは非常に少ないように感じられます。当然時間は余分にかかります。加えて、じっくり腰をすえて取り組むべき添削の価値が半減し、気づいてみたらただ終わらせていただけだった、などということにもつながりかねません。
 反面、いつもしっかりした字を書き、きちんと丁寧にやっているお子様が最終的に力を伸ばしていきます。
 字を丁寧に書くことは落ち着いて考えることに通じます。「ゆっくり書け」といっているわけではなく、「一つ一つ確認しながら書く」ということです。私は授業中の模範答案を書く際は、言葉のつなぎ方、選び方に非常に神経を使って書きます。他のメモ書きの板書に比べて、答案に仕立てた板書の字は相対的に整っていて見やすいはずです。それはゆっくり思考しながらしっかり書いているからです。
皆さんも、答案に仕上げるときはじっくり考えながら、思考を整理しながら、字を書いてほしいものです。きっと丁寧な字になっていると思いますよ。
                                                       む